川島雄三『女であること』(1958)
原作:川端康成 脚色:川島雄三、田中澄江、井手俊郎 撮影:飯村正 音楽:黛敏郎 主演:森雅之、原節子、久我美子、香川京子、三橋達也、太刀川洋一、石浜朗、音羽久米、中北千枝子、菅井きん、丸山明宏
結婚十年目の弁護士・佐山と教養豊かな妻・市子の夫婦には子供はないが、担当する受刑者の娘・妙子を引き取って暮らしている。そこに、家出した市子の親友の娘・さかえがやってくる。現代的なさかえの自由奔放さに戸惑う市子であったが…。消極的な妙子と積極的なさかえという対照的な二人の少女と市子、三人の女の不安定な心の動きが錯綜する。「女」という生き物の不可解さを描き出す!(CV)
森雅之と原節子の夫婦は香川京子を引き取って、田園調布(二子玉川)で裕福に暮らしている。そこに真正お嬢様パワーを炸裂させつつ、なにわ娘・久我美子がやってくる。「小父様が好き 小父様が好きなわたしはわたしが好き 小母様が好き 小母様が好きなわたしはわたしが好き 小父様と小母様の両方が好き 両方が好きなわたしはわたしがきらい」。だってわたしは女ですもの。
久我美子が酔っぱらって帰宅し、原節子にキスをするシーンがすばらしい。吃驚して目をしばたたかせる原節子!!男にだまされる香川京子もいじらしくてたまらない(大好き)。久我美子、原節子、香川京子が一緒に出てくるだけで、心底、幸せな気分に浸れてしまう。
むっつりスケベな森雅之の陰気さが、結婚生活の微妙な倦怠をうまく醸し出していた。粘着質な三橋達也も、原節子にとっての不気味な存在(元恋人)として、なかなか味わいぶかい(三橋達也が久我美子を玉川に送る車中の場面がすばらしい)。森雅之と原節子が口論する奇抜なシークエンスは明らかに失敗だったが、冒頭で奇妙な歌を歌う丸山明宏の登場(これは効果的)など、川島雄三の分裂気質な演出を堪能することができた*1。