2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「集団の量的規定」(1908)

1972年の訳書であるが、まずは居安正の解説が簡潔で良い。 彼によれば、社会をなりたたせる諸個人は、さまざまな目的と関心と価値づけにうながされて他の諸個人と関係し、相互に作用しあって、社会を形成するにいたる。しかし、そのような相互作用を生み出す…

阪神タイガース優勝おめでとうございます

宿敵巨人を破っての、聖地甲子園での優勝。 言うことなし。 岡田も素晴らしい監督だ。 大賢は愚なるが如し、なのだろう。

『グロテスクな教養』

今更言うのもなんだが、私は徹底的に自意識過剰な人間である。あまりに徹底した挙句、最近は解脱の感さえあるくらいだ。自己の特権性を他者との競合において保とうとするのが自意識の働きであるとすれば、それを極限まで推し進めたとき、その特権性は自壊せ…

「日本の古本屋」

最近、「日本の古本屋」というウェブサイトで遊ぶのだが、結構面白い。「基本検索」という所で、自分が所有している本や、欲しいと思っている本を検索する。そうすると、その本をネット上で販売している全国の古本屋の情報が、本の状態、価格とともに表示さ…

女の子からクッキーもらった

ゲッツ!ゲッツ、ゲッツ! クッキーじゃないよ。 いや、クッキーもたしかにもらいましたが、ビバ、長島書店。 『分類の未開状態』、千円也。 自暴自棄になって神田まで足を延ばし、古本屋をめぐりにめぐって、やっとたどり着いた先は、長島書店。棚をながめ…

父帰る

嵐とともにやって来たキミーだったが、嵐とともに去っていった。 今朝も午前5時に起きたキミーは、雨の様子を確認するなり、「こらあかんわ」と呟いて、二度寝をはじめた。しかし午前7時頃になると、念のためとでも思ったのだろうか、やはり東郷神社の骨董…

山手線を二周半

今朝は四時にのっそり起き、埼京線に乗って「浦和ふるさと市」に行ってきたんや。ほんで自在鉤ゆう道具、こうてきたんや。写真に載っけとるヤツやけど、ええ仕事しとるやろ。ええ鉄味やし、月に向こてウサギが跳ねとるのとか、メルヘンチックや。四万円やで…

「唯物史観の基軸的発想と基礎的範疇」

『唯物史観の原像』、第二章「唯物史観の根本発想」の第一節。社会と個人の関係をどのように概念化するかという問題をめぐって、マルクス・エンゲルスは「社会」「歴史」の物神化を徹底的に斥けた。これは社会契約論の社会概念とも異なっているし、また社会…

功利主義批判が混乱を招いているとすればココ

http://d.hatena.ne.jp/seiwax/20070618

独仏間における「保守主義」概念の異同について

まずは知的影響関係について

吉祥寺・荻窪で古書探索

やっほう。古本屋をめぐってきましたよ。今日の収穫。 吉祥寺「ブ」にて。Montesuquieu『法の精神(上)(中)(下)』岩波文庫、締めて315円。 吉祥寺「よみた屋」にて。Durkheim『Lecons de sociologie』Quadrige、500円。 荻窪「ブ」にて。C.Peirce『連続…

成瀬巳喜男『あにいもうと』(1953)

目立たないけれど、これは間違いなく名作である。フィルムセンターの作品紹介。 成瀬が長年計画を温めていたという室生犀星の名作の映画化で、舞台は多摩川べりの小さな町である。がさつな性格、乱暴な言葉の中に妹への愛情をにじませる森雅之の演技が素晴ら…

友人と話したこと

大学1・2年の時にオナクラだった友人に偶然あって、いろいろ話した。 ルソーの作品は全体として整合的解釈を施すことが難しい。Foucaultはルソー論において、ルソーの人間としてのあり方それ自体に、近代的個人としての画期性を見る。あるいはそれは、ルソ…

キムタク

帰宅してテレビをつけるとSMAPの番組をやっていて、キムタクこと、木村拓哉が映っていた。なんだか、動いているキムタクを見るのは、かなり久しぶりのような気がする。で、驚いたのは、キムタクがあまりに莫迦に見えたことだ。宇宙飛行士の野口さんと話して…

ドレスデン国立美術館展

ドレスデン国立美術館の全貌を明らかにするという趣旨の企画展を、西洋美術館に見に行った。この美術館は、ザクセン選帝候アウグストの「美術収集室」(1560年)に由来するものらしい。とにかく珍妙な品物がたくさんあり、「集光鏡」とか「地球儀」とか、あ…

「個人主義と知識人」(1889)

ドレイヒュス事件において、「人びとの見解は、事実の問題の問題についてよりも、原理の問題について、より強く分裂した」(36)。すなわち、「個人主義」という価値をどのようなものとして理解し、どのような展望のもとの実現していくか/していかないか、…

N響に行ってきた

シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」、「交響曲第二番」。指揮者、ピンカス・スタインバーグ。ヴァイオリン奏者、スザンヌ・ホウ。 シベリウスの「交響曲第二番」は有名曲だが、今日の演奏は大変よかった。指揮者が良かったのだと思うが、演奏者の自発性が見事…

ポランスキー『水の中のナイフ』

ロマン・ポランスキー監督(1933〜)のデビュー作。フィルムセンターの小ホールにて。パンフレットには、このような紹介文が載っている。 湖沼地帯に向かって外車を走らせるアンジェイとクリスティナは、途中で若い男を乗せ、さらに自家用ヨットの航行に誘う…

成瀬巳喜男『歌行燈』(1943)

フィルムセンターにて、成瀬巳喜男監督『歌行燈』(1943年)を観る。原作、泉鏡花。出演、花柳章太郎、山田五十鈴、柳永二郎ほか。パンフレットの紹介文を引用。 花柳章太郎が結成した新生新派の面々が出演する「芸道もの」。能楽師の喜多八は、名人を自殺に…

M点灯

中日が破れ、タイガースにマジック13が点灯。 一昨年、優勝した時には、これほどはやく優勝の機会が巡ってくるとは夢にも思わなかった。うまくいくときには、うまくいくもんなんだね。 これからは、マジックが一つずつ減っていくのを、じっくりと味わってい…

デブの思想的正当化

寺山修司がこう言っている。 僕は、思想的立場からすれば『デブ』が好きです。 今日のように、痩せ細った肉体の持主たちの支配する知的文明というものが、人間をしだいに主知的にし、理性的にして、肉体の素晴しさから遠ざけてゆくものだと思っているのです…

タレス「万物の根源はヒュ―ドルである」

だから、浮世離れさせてください。古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』(ちくま学芸文庫)。全篇ポエムのようなこの著作によれば、古代ギリシア哲学の核心的メッセージとは、「〈在る〉ということの凄さ・神秘の告知」、「この地球という星があり、そ…

オルテガ再論

民主主義という制度自体は高邁な理想に支えられているわけで、べつに批判をくわえる理由も見つからないし、いかんせん、高邁な理想を支える「民衆」が「大衆」となってしまっている文明論的現状からすれば、昨日のことも結局は諦めるしかないのだろう。つま…

信じられない、ニッポン

「民主党」と「新党日本」に投票した「都市型リベラル」の私ですが、投票所につめかけている人びとの容貌を見て、「こりゃいかん」と直感しましたよ。「民度」というのは、高かったり低かったりするものではなく、語義上すでに「未成熟」なものなのですね。…

比例代表「新党大地」

タイガースの優勝がいよいよ見えてきたので、明日の選挙予想でもしてみようか。といっても、全体的な予測はまったく見通しが立たないのだけれど。とりあえず、 ホリエモン×、亀井静香○ は妥当ではないか。尾道の経済復興のため、ホリエモンに期待する向きも…

阿佐田哲也「立川談志さん」

阿佐田哲也(色川武大)(1929ー1989)が、1988年に書いた人物評である。まずは落語家としての評。 「志ん朝――それから」とある人がいった。「談志ねえ、談志が一皮むけたらねえ」 べつの人もいう。 「小えん(談志の前名)時代の談志はよかったがなァ」 少…

モンテスキュー

科学としての社会学はモンテスキューから始まった、とDurkheimは述べている。かれは「現実に存在するものについての記述とその解釈を除けば、科学の目的とするところは何もない」「社会科学が成立するためには、何よりもまず、一定の対象を定めるということ…

阪神

とうとう見えてきたんじゃないか?こないだ、橘高のヤロウに誤審されたときには、どうなることかと思ったけど。岡田の抗議もええ感じやったし。見直したわ。

ハンス・ワインガルトナー『ベルリン、僕らの革命』(2004)

ハンス・ワインガルトナー監督(2004)。ダニエル・ブリュ―ル、ジュリア・ジェンチ、スタイプ・エルツェッグ。ギンレイホール。 『グッバイ・レーニン』の監督で、またもや「革命」のお話。けっこう面白かったとは思うが、いかんせん普段から良い映画、良い…