父帰る

嵐とともにやって来たキミーだったが、嵐とともに去っていった。
今朝も午前5時に起きたキミーは、雨の様子を確認するなり、「こらあかんわ」と呟いて、二度寝をはじめた。しかし午前7時頃になると、念のためとでも思ったのだろうか、やはり東郷神社の骨董市に出かけていった。だがすぐに「帰るわ」との電話が入り、帰宅した後は、家で寝ころがりながら「関東アンティークニュース」を読みつつ、過ごしていたようである。私も一緒に、横峯さくらの活躍や、24歳の相撲取りが優勝したりするのを見て、過ごした。
キミーが夜になって動きだしたので、私はキミーを大学と後楽園の展望台に連れていくことにした。大学最寄りの地下鉄には、そこらへんの中学生が描いたラファエロアテネの学堂」の模写があるのだが、それに目を丸くしたキミーは、「なんじゃい、あの下手な絵」と悪態をついていた。後楽園の区役所に連れて行ったら、「ごっついもん建てよるな、地震きたら一発やな」とキミーは恐怖を感じたようだったが、エレベーターに乗ったときにも、「これで地震きたら、助からんな」と三回くらい口にしており、でもこのときは、恐怖というより、むしろ地震を待望しているかのような様子だった。キミーは、展望台をいたく気に入ったようだった。結局、二周半した。その後、ラクーアのジェットコースターが急降下するのを三回も見て、「オバア乗せたら、一発で死によるな」と不思議な納得の仕方をして、喜んでいた*1
キミーは、ラーメンを喰い、コーヒーを飲んでから、ラルクアンシエルのファンと一緒に、中央線に乗って帰っていった。

*1:キミーが介護している「オバア」については→http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20050811