成瀬巳喜男『歌行燈』(1943)

フィルムセンターにて、成瀬巳喜男監督『歌行燈』(1943年)を観る。原作、泉鏡花。出演、花柳章太郎山田五十鈴柳永二郎ほか。パンフレットの紹介文を引用。

花柳章太郎が結成した新生新派の面々が出演する「芸道もの」。能楽師の喜多八は、名人を自殺に追い込んだことから破門され、門付けとして流浪の旅に出る。成瀬は能楽堂に通って研究を積んだという。

浮雲』(1955)は毛色が違っていたが、『二人妻』(1935)、『めし』(1951)、『稲妻』(1952)、『晩菊』(1954)と「日常こまごまもの」に親しんできたせいか、この作品はまさに異色の感があった。
メクラの按摩が能の「ニセ田舎名人」を名乗っており、それに怒った能楽師のキタハチが懲らしめたら、メクラ名人は自殺してしまった。だがこのとき、キタハチは名人の娘(お染)に恋してしまう。一方、キタハチの思い上がりに怒った師匠の父親は、彼を破門にする。キタハチは流浪の旅に。メクラ名人への呵責も募ってきたある日、キタハチは、父親が死んだ後のお染の不幸な身の上を耳にした。お染は色々な辛苦のすえに芸者をしているのだが、三味線が上手に引けずに困っているというのだ。キタハチは、お染に会いにいき、七日間のうちに彼女に舞を伝授する。もちろん、師匠からの禁止を振り切っての所業であった。そうこうするうち、師匠はひょんなことから、お染の舞を目にすることになった。その舞に、まぎれもないキタハチの姿を見た師匠は、キタハチを許そうと考え直す。お染の踊りに合わせて鼓を打っていると、たまたま同じ町にいたキタハチがそれを聞きつけ、感動の和解へ。
とまとめると立派な人情話という感じなのだが、よく考えると滅茶苦茶な話なのである。そもそもなぜキタハチが破門されたのかがよく分からないし、キタハチはメクラ名人の娘に恋しているだけで、メクラ名人を自殺に追いやった反省心があんまり見られるわけではない。三味線が下手なのに舞を伝授するのもヘンな話だし、和解にいたったところで、結局どのような問題が解消されたのか、ちっともわからないで終わるのだ。
しかしエンターテイメントとしては、構成がもたらす心地よいテンポ感があり、申し分のない出来になっている。そこで、「二人妻」と「めし」の間に一体何があったのと考えてみると、もちろん「戦争」ということがあったわけだ。たしかにキタハチの「ビルディングスロマン」とも見えるこの映画は、じつは「恋愛」「気分」といった要素のせいで、そのストーリー性が見事に脱臼させられてしまっている。教訓を排し、純然たる娯楽映画として成立しえている点、ここらへんが、ミソではないか。