『グロテスクな教養』

今更言うのもなんだが、私は徹底的に自意識過剰な人間である。あまりに徹底した挙句、最近は解脱の感さえあるくらいだ。自己の特権性を他者との競合において保とうとするのが自意識の働きであるとすれば、それを極限まで推し進めたとき、その特権性は自壊せざるをえない。相対化の果てには、自己もまた、もう一人の他者として現れるからである。自意識の過剰は、逆説的に自意識の消去を導く。もちろん自意識が完全に消去されることはなく、したがってねじくれた諧謔としての痕跡は、どうしても残ってしまうわけだけど……。
と、のっけから「グロテスクな」自己言及をしてみたくなったのは、本書でいう「教養」の歴史が、いわば「自意識のつば迫り合い」の歴史にほかならないからである。冒頭に述べた次第なので、私は自意識のことなら良くわかる。キムタクとキムタクファンの自意識についてだって、本当は丸裸にしてあげてもよいくらいなのである。しかし「品位」という名の自意識が邪魔するために、どうしても諧謔で丸め込んだ文章を書くことしかできない。結局それが、キムタクファンの怒りに触れるわけである。「教養が邪魔する」と言い換えたら、やはりキムラファンは怒るだろうか。
「いやみったらしい」(@庄司薫)発言が続いているが、気にしないでください。そういえば、私の出身高校も、関西では超有名進学校である。かつての日比谷高校と比較して構わないが、おそらく母校も、「教養主義」の土壌たる基礎条件を備えていたはずである。すなわちそれは、ボクは単なる秀才ではない、ということなのである。四方田の「教筑」とも同じで、「万引き」だって「女子高生共産党」だって、最終的には「いやみったらしい」自意識に、多かれ少なかれ還元されてしまう。それが、エリート高校の実態なのだ。
著者は、「教養」の定義を、「自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身だ、いかに生くべきかを考え、いかに生きるかを決めるのは自分自身だ」という、「認識」に求める(17)。とりわけ、次の記述が重要だろう。

 ……これは当たり前のように聞こえるが、子供が親の身分や職業をそのまま受け継いでいく社会では、この認識は成立しえない。あるいは、たとえば日本の一般女性にとって、自分自身で自分自身を作ってよいということが戦後にようやく与えられたものであったことからも分かるように、人間が、それこそ人格を認められ解放されていてはじめて、自分自身を作りあげるのは自分自身だ、と言える。
 教養は、何より解放の思想なのである。(17)

近代日本において、高等教育機関は社会に有用な人材を創出することをその目的としていた。いわばそれは、「解放」のための社会的装置であった。しかし、そのような近代の「解放」は、同時に「自分自身を作りあげるのは自分自身だ」という「教養」観念を生じさせることになる。すると「教養」は、「有用な人材」という凡庸な自己規定との間に、背馳を生むことになるだろう。すなわち、凡庸な自己形成を強いられる「解放」の場でこそ、凡庸さから逃れようとする意識が生まれる――そうした逆説的な磁場においてはじめて、「教養」を追求する「いやみったらしい」自意識が誕生するわけである。
したがって「教養主義」は自動的に、(「教養主義」に対する「自意識」としての)「教養主義批判」を伴うことになる。たとえば唐木順三は、明治期の「修養」に還れと主張し、「葛藤のない享受」としての「大正教養主義」を批判している(23)。また大正末から昭和初期にかけては、「教養主義マルクス主義」が、「大正教養主義」の非実践性を批判した(20)。だがそれらは、「自分自身を作りあげる」という出発点において、すべて「教養主義」と共通しているのである。ちなみに「大正教養主義」自体は、三木清の言うとおり、「第一次大戦後」の「西洋の没落」のなか、日本のアイデンティティが文化的に見出されることで、あらわれた現象だった。
とにかく、「自分がたんなる秀才、たんなる勉強ができるだけの優等生ではないことを、自分自身にも他人にも示さなければならない」「秀才と優等生は、日本では侮蔑語である」という状況が、「日本的教養主義の土台」として、「戦前戦後を貫く日本社会の一大特徴」なのであった(29)。それゆえ、1970年代以降の「教養の崩壊」は、「解放」のなかに「凡庸」を読み込む視線すら失効するほどに「解放」が徹底された、という社会の成熟を示している。著者は、エリートが「人類・歴史・社会全体に対する使命感・責任感」を独占してきた、つまり「生きがい」を独占してきた、という庄司薫の言葉を引きつつ、次のように説明する。

 だが「価値の多元化相対化と情報量の加速度的増大」が起こった大衆社会のなかでは、この「生きがい」じたいが曖昧になってしまい、エリートのほうも「意地を張って見栄を張って無理をして」なぞしなくなるが、誰もエリートに厳しい視線を注がなくもなる。

ざっくり言えば、「特権的に解放されている」という過去の状況から、ただたんに「解放されている」という事実だけが残ったというのが、「教養主義」の空洞化の理由である。そして1980年代中ごろの「ニューアカ・ブーム」は、「脱優等生戦略」を「パロディ」として謳歌する、最後の「教養主義」の高揚だった。ブームは、出版会社と人文学とアカデミズムが奇妙に結びつくなかで、知的ミーハーらによって需要され、そこで享受されたものは「著者たちの特権的友情共同体」の放つオーラ、つまり自意識の心地よさなのであった(164)。それが、「いやみったらしい」他者との競合意識からエネルギーを得ていたことは、もはや言うに及ばないだろう。
面倒なのであとは省略するけれど、中野孝次の「清純なお嬢様好き」が、かれの「心貧しく何かを求めつづける」教養主義と関係している、という話がとくに面白かった(203)。「教養主義」は、「自己処罰」的である。「自分自身を作りあげる」ことは、自己の喪失感・不全感を前提とするからである。とはいえ、日本において「教養主義」は「相続資本」ではない。そこに「お嬢様幻想」が生まれることになる。というのも、自己の不全感をエネルギーとする教養主義者は、お嬢様の「相続資本」にさらなる自身の不全感を意識するが、それは自己処罰的な実存確認行為となりうるからだ。さらに同時に、「教養主義者」は「近代解放」の勝利者となる確率が高いゆえ、ここに、「にわかお嬢様」の戦略的振る舞いが成立しうることに注意しておきたい。「教養主義者の自己処罰願望」に照準して経済的なハイパガミーを達成する、という女子の戦略は、近代日本において、わりと有効な戦略でありえたのだ。