タレス「万物の根源はヒュ―ドルである」

だから、浮世離れさせてください。古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』(ちくま学芸文庫)。全篇ポエムのようなこの著作によれば、古代ギリシア哲学の核心的メッセージとは、「〈在る〉ということの凄さ・神秘の告知」、「この地球という星があり、そこに人が生きてあり、森羅万象が在ることの《在りえなさ》の覚醒」であるという(21)。たとえばタレスの世界観。

 さまざまな差異をみせながら、生成変化をくりかえすこの世界。それも、宇宙的視点でながめればヒュードル(水・流体)のよう。水(流体)とは、けっしてとどまることのない流動性の意味。……
 つまり、自然は生きている。宇宙は死せる物質世界ではないという直感。そして、神々しいまでに溌剌とした森羅万象の在りようへの驚嘆。それがよく知られた「万物の根源はヒュードル(水)である」という一句に託された。(35)

この思想によってタレスが乗りこえようとしていたのは、擬人的な世界解釈をもたらしていたギリシア神話であった。

……かれが万物の根源は水であるといったとき、なにか明解な答があたえられたのではない。むしろこれまでの神話によるじつに〈分かりやすい〉意味づけや根拠づけや価値づけを、拒否したのだ。つまりベラベラと人間になぞらえて説明する神話的言説方式を、その神話ゆえにではなく、そのあまりにもの非神性ゆえに、疑念の闇へ放りこんだのだ。(47)

このことは、当時の歴史的情勢とも関連していた。

 初期ギリシア哲学の前夜から、アッチカ哲学の時期。つまり、紀元前七世紀から五世紀にかけての二〇〇年間。この時期は、ギリシア全土が、大動乱にさらされた時期である。
……このため、神話ベースに編み上げられた伝承や文化の数々が、その根底からねこぎにされ、神々の後継者をほこる世襲の王家は威信をうしなう。下克上的な風潮が高まり、新興民衆階級と貴族階級とのあいだの内乱抗争が勃発。社会基盤が揺れ動き、人心は惑乱。(50−51)

という次第で、「ながらくギリシア民族文化を統一していた、ホメロス・ヘシオドス的神話と叙事詩の世界観は失墜」と相成ったわけである。ふたたび、「水」について。

 たとえば宇宙の根本構造(アルケーないしはピュシス)を水ということ。それはまずは、宇宙の成り立ちなどわからないというに、ひとしい。……
 それは、解明というより、まずは、えたいのしれない自然宇宙をまえにしての絶句にほかならない。……神話的饒舌にたいする訥弁化。神話的合理性に抵抗する寡黙。それがイオニアの思想家たちの、なによりの特徴である。(57)

とはいえ、この「訥弁」を通してタレスが注目していたことは、わりとはっきりしていて、それは「《無であればこそ全てでありうる》という、この水特有の物性」であった。「それが、タレスの念頭にあったアルケーのすがたを、うまくイラストレイティング(具象的に例示)してくれる」ものだったのである(63−64)。
なお、私の頭の中ではこのあと、「ヘラクレイトスの火の思想」→「ヤコブベーメおよびヘーゲルマルクス」(『はじまりのレーニン』の紹介)→マルクスの「革命」概念(『唯物史観の原像』再論)→「上部構造としての知識人」論→「日本政治はどうなるか」、と話題転換していく算段なのであるが、書いててすでに実現しそうもないな。