阿佐田哲也「立川談志さん」

阿佐田哲也色川武大)(1929ー1989)が、1988年に書いた人物評である。まずは落語家としての評。

 「志ん朝――それから」とある人がいった。「談志ねえ、談志が一皮むけたらねえ」
 べつの人もいう。
 「小えん(談志の前名)時代の談志はよかったがなァ」
 少し前の私は、そのいずれのセリフにも頷いていた。今でも、半分、頷く。けれども、このところ私の気持は少し変わってきている。
 私は今、立川談志という人にとても興味を持っている。以前、会えば簡単な挨拶ぐらいしていたときとちがって、このところ急速に親しくなってみて、私は談志という人物をすっかり好きになった。
 落語家としての談志に対する私の気持は、以前とそう変わらない。六十歳ぐらいになったら、まちがいなく大成する落語家だと思う。放っておいてもそうなる。彼自身、将来の大成にポイントをおいて、現在の高座をつとめているふしがある。
 だから、私は落語家談志の現状を、言葉でくくろうとは思わない。どんな高座をつとめていたって、見逃しておけばいいと思っている。出来がよくてもわるくてもいい。大きな能力というものは、完成がおくれるものだし、烈しく揺れたり脱線するプロセスがありがちである。(151−152)

そして人物評。

 それよりも私は今、落語家としてではなく、一人の人間としての談志に関心がある。彼はとてもナイーブで、気弱い。向こうッ気の強い人間は存外気が弱いというが、親しくつきあうまで、私はこれほどまでとは思っていなかった。
 何故だかわからないが、彼は彼流の劣等感を身体のどこかにわだかまらせているらしい。そのせいか、感性がいつもぐらぐら揺れている。神経質で、孤独で、淋しがりやで、気持ちの優しい男である。私は、彼がまわりの人間に示す一見毒舌調の配慮の濃さにおどろいている。
 もうひとつ、彼の特色は、眼の確かさ、だと思う。眼がいい、ということは一言で説明しにくいのであるが、フリーランサーは特に眼の性がいいことが、きわめて重要な武器だと思う。現在の各界を見て、眼の性のいい人がきわめてすくない。
 もっとも、眼はたしかによいけれど、感性的な、乃至は瞬間的な勘のようなものにかたよりがちで、談志の眼力はたしかな坐りを見せてはいない。それでも眼がいいから、直感が他の人とちがう。何事でも自分の眼で見ようとする。
 たとえば、これも親しく交際するようになってわかったのであるが、芸、というような一見あいまいな形のものを、鋭く見取ってしまう。芸、に対してこれほど烈しい関心を抱き、また正しい眼を持っている男を、私は今まで見たことがない。
 落語に限らない。個人芸に関して、談志と談じこんでみたまえ。もし、その論に眼をみはらなかったら、それは貴方の眼力が低いのである。そういいきってもいい。
 仙人の芸、もっというなら、個人的な生き方に関する観察は、まことに深い。この点で私は舌をまいている。(152−153)

内容ももちろん興味深いのだが、書き手の優しさがじんわり伝わってくる、良い文章である。なお阿佐田は、四〇代のうちに落語のレコードを出しておけ、と談志につよく勧めたそうだ。それは阿佐田が次のように考えていたからだった。

……他人の芸があんなに深くわかる男が、自分の芸に対して、それと同等に客観的な認識をしているとは限らない。彼は自分では、自分の芸のいい点わるい点、さとっているともりだろうが、それを含めて、まだ、さとる余地がある。それは彼の大成のために、無駄な行為とは思えない。
 今の彼は、主として感性で、鋭敏にさとっている。しかし事物に対して、もっとゆったりとさとるさとり方もある。(154−155)