「唯物史観の基軸的発想と基礎的範疇」

唯物史観の原像』、第二章「唯物史観の根本発想」の第一節。社会と個人の関係をどのように概念化するかという問題をめぐって、マルクス・エンゲルスは「社会」「歴史」の物神化を徹底的に斥けた。これは社会契約論の社会概念とも異なっているし、また社会ガクの始祖たちの発想とも、まったく異質なものでもあった。

 ……十九世紀の歴史的現実は、社会というものを、一見それが諸個人の意思的行為とは独立な固有の実在であるかのように現象せしめるようになった。もはや、かつて社会契約説というかたちで表象されたような社会像、つまり、社会というものを諸個人の目的意識的な営為の透明な複合として了解することは不可能になってきた。ここにおいて、固有の実在として意識されるようになった「社会」を対象とする学=社会ガクが成立し、その開祖たちは、この実体化された社会の運動法則を生物有機体との類比によって論考したのであった。
 マルクス・エンゲルスは、社会現象の物象化が顕著になってきた歴史的局面、この与件を社会ガクの開祖たちと共有する。このことに負うて、唯物史観と綜合社会ガクとは共通のモチーフを分有する面がある。しかし、与件に対するイデオロギー上の態度が異るという点は措くにしても、綜合社会ガクがおちった「社会」「歴史」の物神化を対自的に斥け、しかも、この“物神性の秘密”を究明したということにおいて、マルクス・エンゲルス唯物史観は綜合社会ガクの地平を端的に超えている。(84−85)

では、この「物神性の秘密」は、どのようなかたちで究明が試みられたのか。社会現象は、固有の実在ではあるが、それは個人に対して外在的なものとして存在するわけではない。この洞察を深めるうえでマルクスが照準したのが、「生産」の概念だった。その含意を理解するためには、『経済学批判・序文』における周知の「唯物史観の公式」を味読・熟読する必要がある。

「人びとはその生の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意思から独立な諸関係に入りこむ。すなわち、物質的生産諸力の一定の発展段階に照応する生産諸関係に入る。この生産諸関係の総体が社会の経済構造、実在的な土台を成し、これのうえに法制的・政治的な上層建築がそびえたち、またそれ〔土台〕に一定の社会的意識形態が照応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的、精神的、生活過程一般を規制する。人々の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その一定の発展段階で、現存の生産諸関係と、ないしはこれの法律的な表現にすぎないのだが、それまで生産諸力がその内部で運動してきた財産諸関係と、矛盾におちいる。これらの諸関係が生産諸力の発展形式からその桎梏へと一変する。そのとき社会革命の時代がはじまる。経済的基礎の変化にともなって、巨大な上層建築全体が、徐々にせよ急激にせよ覆える。……社会構成体は、それが生産諸力によって十分の余地をもち、生産諸力がすべて発展しつくすまでは、決して没落するものではない。……大づかみに言って、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産諸様式を、経済的社会構成体の諸階梯として挙げることができる」云々。(86−87)

マルクスにおいて「生産」概念は、「人間の存在論的規定に関わる基礎的カテゴリー」としての意味をもっている(88)。なぜなら「生産」とは、第一に「対象的活動」として、自然的・歴史的諸条件に制約されたものであり、また第二に「協働」として、間主体的・歴史横断的な分業的協働によって成立するものだからである。

 生産は、このように、間主体的・歴史的な協働としての対象的活動であり、この対象的活動そのものを通じて、人間は自然を歴史化しつつ自らをも変様的に生産・再生産していく。生産とは、こうして単にパンを得るための手段といった次元のものではなく、人間存在の在り方、歴史的に送られてくるものへの投企的応答として、現在を将来へと実践的に媒介する人間存在の世界との関わり、この存在論的な関わり方の根底的な構造そのものを表現するものである。(89)

ここで想起すべきなのはエミールである。彼が道徳的な個人主義を社会事実と結びつけて論じたとき、そこで意識されていたのは固有の実在としての社会現象であり、さらにはそうした社会が個人と取り結ぶ、独特の関係性についてであった。それを「歴史的に送られてくるものへの投企的応答」と表現するならば、エミールとマルクスの議論の間には、明らかに共通した関心を見出すことができる。しかしエミールの場合、「歴史的に送られてくるもの」とはあくまで言語(=「概念的思考」)を通してのものであり、その点でマルクスとは異なっている。検討してきたように、マルクスの場合、キー概念とされているのは「生産」なのである。
さらに「生産」概念についての整理を試みよう。「生産」概念を基軸として「間主体的・歴史的な協働」としての社会の存在様態を明らかにしようとしたマルクスは、そこで「生産力」と「生産様式」という概念装置を用意する。従来、この「生産力」と「生産様式」の関係性は、スターリンの理解などをふまえつつ、正統的マルクス主義のなかで、曲解されつつ、定式化されてきた。「この定式化によれば、人間と自然との二元的な区分を暗黙の前提としつつ、生産における、自然と人間との関係という側面と、人間と人間との関係という側面とを、前者を生産力、後者を生産関係として腑分けし、これらニ側面の弁証法的統一が生産様式であるとされている」(95)。
しかし、このように人間と社会との二分法的な振り分けをおこなう「悟性的図式化」が、マルクス本来の意図からは遠く隔たったものであったことは、もはやいうまでもないだろう。「生産力」という概念は、「交通形態」「交通関係」というヘスの概念規定から発展させられたものなのだが、それはもともと次のような含意を持つものだったのである。

 ……「生産力」Produktionskraftと「交通形態」Verkehrsformという対概念は、元来、ヘスのターミノロギーであって、彼においては、これらの概念は「協働」Zusammenwirken「聯関」Zusammenhangという、これまた『ドイツ・イデオロギー』でさかんに借用されている概念と密接な関係をもっている。「聯関」とは「協働」における人びとの聯関の謂いであり、或る意味では、同一の事態を活動に即していうときには「協働」、そこにおける関係に即していうときには「聯関」と読んでいると解釈することができる。……
 ……ヘスにおいては「生産力」とは「協働」をそのポテンツにおいてとらえたものであるから、この文脈で言えば「協働」をそのポテンツの相で概念化したものが「生産力」であり、当の「協働」をその聯関の相で概念化したものが「生産関係」である、と言えよう。(97)

そう。だから、「聯関」から「生産関係」という概念が成立し、「協働」のポテンツの相での把握が、「生産力」という概念を生んだのである。したがって、「生産関係の総体が社会の土台をなす」という「公式」のテーゼも、「われわれにとってもはや奇異ではない」(101)。正統派マルクス主義によって撹乱されているせいで、この部分はなかなか理解が難しいところなのだが、もうこれで何も怖くはない。

 下部構造(土台)という概念は、さしあたり共時論的な構造概念である以上――生産力をものとみなす人びとにとっては生産力が忘却されているかのようにみえようとも、それのポテンツが生産力であるところの対象的活動の協働聯関にマルクスは定位しているのであって――生産力としての生産力を下部構造の構成要素とみなすのは、視角の没論理的な交錯であると言わねばならない。人間存在の汎通的・基定的な在り方、すなわち、生産という協働的対象的活動の有機的な函数的・機能的聯函、これを共時論的に概念化したものが生産諸関係の総体であり、マルクスによれば、このようなものとしての生産諸関係の総体が「社会の経済構造」「実在的な土台」をなすものである。(101−102)

このように「上部構造」「下部構造」を正しく理解したならば、正統的マルクス主義が陥ったような両者の物象化的錯視に陥る危険もなくなるだろう。「下部構造」は「聯関」であり、「上部構造」は「協働」における「ポテンツ」なのだ。したがって、「上部構造」が「下部構造」に影響を与えることは、もちろんのこと、ありうる事態なのである。そのことは、『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』を読めば理解される。さらにここからは、革命理論としてのマルクスの読解も導きうるのだが、それは後日論じることにしたい。
それにしても、個人がそこに埋め込まれたものとしての「社会」を論じるための概念立てとして、マルクスの概念装置はどのように評価すべきものなんだろうかな。そこがちょっと課題だな。http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20050907