2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『唯物史観の原像』

資本主義について再考するために、名著『唯物史観の原像』(三一新書)を再読。 ……結論を先取りして言えば、一八四五年ごろを境にして、マルクスの思想的地平、世界観的「構えのとりかた」に飛躍的な発展がみられる。それは、しかも単なるマルクスという一人…

本田透『電波男』完結編

恋愛資本主義に染まった女たちの、愛のなさ。著者の問題意識の根底には、この思いがある。したがって、オタクへのバッシングは二重に不当だということになるだろう。彼女たちは、愛のないシステムに平然と乗っかりつつ、そのうえでなお、愛のないシステムか…

本田透『電波男』part2

恋愛資本主義の搾取構造(=「あかほりシステム」)は、真の愛情から疎外された非人間的な社会システムを形成しているわけだが、そのことによってキモメンは、恋愛市場主義にどっぷり浸かった女たちから苛酷な仕打ちを受け、精神的ダメージを日々経験するこ…

成瀬巳喜男『浮雲』(1955)

この映画については、双葉十三郎の整理でまったく問題なし。 戦時中、農林省技官として仏印にいた富岡兼吾(森雅之)は、部下のタイピスト幸田ゆき子(高峰秀子)と愛人関係になる。戦後帰国した二人は再会するが兼吾は妻と別れない。ゆき子は外国人のオンリ…

本田透『電波男』part1

ドーン!実存を揺るがす、心のうめき。壮大なる理論的構想力。これを名著といわずして、なにが読書人だろう。とにかく読むべし。 高村光太郎の詩『ぼろぼろなダチョウ』より。 ぼろぼろな俺 何が面白くて俺を恋愛に誘うのだ。 アパートの四畳半の個室の中で…

成瀬巳喜男『晩菊』(1954)

日常のディテールを細かく描写する成瀬映画であるが、1954年のこの作品にいたって、とうとう「オチ」すらなくなってしまった。かつて芸者仲間だった50過ぎの四人の女性について、彼女たちの人となりや心理状態が、徹底して描きわけられている。 中心となって…

成瀬巳喜男『稲妻』(1952)

フィルムセンターにて。 原作は林芙美子の小説、脚本は田中澄江、舞台は東京の下町。母親(浦辺条子)は生んだ子どもたちの父親がみんな違うだらしない生き方、長女(村田知英子)次女(三浦光子)長男(丸山修)はそれぞれ性格が違うが、ぐうたらなところは…

成瀬巳喜男『めし』(1951)

名作。原節子が素敵すぎる。 大阪は庶民的な天神の森界隈、貧相な、と形容したくなるような家に一組の夫婦(上原謙、原節子)が暮らしている。二人は恋愛で結ばれ東京から移ってきて、夫は証券取引の小さな店に勤めているのだが、もう中年にさしかかって倦怠…