集団ネット自殺

教育テレビで、渋井哲也氏による「集団ネット自殺」の特集。
ネット自殺希望者の25歳の女性が出てきて、「生きていても面倒なだけ。死は特別なことではない」みたいなことを言っていたが、この発言はきわめて欺瞞的である。
私に言わせれば、生きていくこともたしかに面倒だが、自殺サイトに書き込みをしたり、死に方を相談しあったりするほうが、よっぽど面倒である。ましてや、みんなで死ぬ日取りを決めたり、メールを打ち合ったりするなんて、まったく面倒の極みではなかろうか。
まあ、ひとりで死ぬのが怖いので集団自殺するんだろうが、この人たちは自分たちが、「ひとりで死ぬのはこわい」→「みんなで死ねば怖くない」→「そのためには連絡を取り合わないと」→「連絡を取り合うのは面倒」→「やはり生きていても面倒なだけ、死にたい」→「ひとりで死ぬのはこわい」、といった愚かな循環のなかでぐるぐる回っていることに気づいていない。これだけ世俗のつながりにこだわるくらいだったら、つべこべ言わずに生きている方がよっぽど楽なのに。
いずれにせよ、「死ぬときはひとりで死ねよ」と私は言いたい。自殺サイトにでも書き込んでやろうかしら*1

*1:付け加えるなら、「生きるのが面倒」などとホザいている人間は、「世間の人々がなぜ面倒な人生をあえて生きているのか」という事実への想像力を欠如させているわけである。要するに「無教養」ということだ。このことの真実に触れた坂口安吾の文章があったのだが、いまは手元にないので、後日引用することにしよう。