田中康夫の動きについての私見

shou 『選挙は小泉自民党にびゅんびゅん追風が吹いているようですが。田中康夫の動きは何なのでしょうか。何を狙っているのでしょう。正直よくわかりません。教えてください。』
hiroumix 『天知る、地知る、あなたが知らなくて誰ぞ知る。』

もちろん、shou氏に「教える」なんてことは出来ないのだが、私なりに想像するところを述べてみたい。じつは私は、今回の田中康夫の振る舞いに、肯定的な印象を持っているのである。
今回の選挙の争点が分かりづらいということは、前にも述べたとおりだが、小泉が提示しているのは「郵政民営化の賛否」であって、これは世論一般にも浸透しつつあるといえるだろう。また「郵政民営化反対」が「抵抗勢力」であるとの小泉のメッセージは、それなりに受け入れられており、亀井静香を中心とする反小泉勢力は、「理念的な存在意義」を示しきれていないのが現状である。もちろん、亀井に政治理念がないわけではないのだが、そうしたポピュリズムの巧みさにかけては小泉は絶品というしかない才能をもっている。反小泉勢力は、「刺客などの非情な政治手法」を強調し、世論の同情に訴えようとしているが、やはりその受身的態度は決定的にインパクト不足であって、決断主義的なマッチョ志向を持つ世論の心情に応えられるものとはいいがたい。
さらに、旧自民党反小泉勢力はまだましで、民主党の方はほぼ完璧に小泉政治に去勢されてしまっている状況である。週刊誌の中吊り広告を見ていると、「小泉さんは魔術師です」といった岡田に対し「ではあなたは何ですか」と櫻井よし子は聞いたそうだが、まったくそのとおりだというべきだろう。民主党執行部は、郵政民営化論議自民党内の権力闘争とシンボライズし、「民主党こそが政権を担当するにふさわしい」とアピールしようとしているようだが、「まじめさ」などという青臭いアピールが通用すると本気で思っているとすれば、それは大問題である。「民主党は具体的にやります。ほら、マニフェスト読んでください」などと言っていても、大衆はマニフェストなんて読まないのだ。この政治情勢において小泉にポピュリズム的に対抗するならば、やはり郵政民営化議論に正面からアタックしたうえで、「小泉の問題点」をこそ具体的にアピールしなければならないのである。
それでは「小泉の問題点」をアピールするには、どのような方法が望ましいのか。そこで田中康夫の登場である。
田中康夫の登場は、「郵政民営化」=「抵抗勢力」という、小泉の提示したイメージを食い破る政治的意味をもっている。もちろん彼の振る舞いの意味は、分かりやすいものではない。しかし、分かりにくく、混乱を巻き起こすことにこそ、意味が見出されるべきなのである。小泉のポピュリズム手法に対抗するためには、「分かりやすさ」にたいする大衆の評価を相対化する政治手法が必要であるが、田中康夫はこの問題の「分かりにくさ」を指し示すことで、小泉に対抗する勢力の「理念的な存在意義」を擁護し、対置しようとしているのではないか。
今回の選挙においては今までのところ、「決断主義か/同情か」、「不誠実か/まじめさか」といった(世論の潜在的欲望に照準した)対立軸が模索されてきたが、いずれも小泉自民党の優勢を揺るがすことができなかった。しかし刺客の乱立などで「同情」「まじめさ」にも目が向けられるようになりつつある機会をとらえて、「理念的存在意義」の象徴的イメージである田中康夫が撹乱をしかけてきた、というのが今回の動きの背後の意味ではないだろうか。そしてこの「理念的存在意義」というのは、「わかりやすさ」の持つ暴力性のイメージを利用し、「わかりにくさ」と「まじめさ」をつなげることを目的としていると考えれば、その振る舞いの意義が理解できるのではないだろうか。
なお政治的駈け引きの観点からいうと、おそらくこの動きは選挙後の政界再編をにらんだものであることは間違いない。裏には小沢一郎あたりが待ち構えているのではないか。ヤッシーと小沢は手を結べるはずなので、反小泉派によって結成された新党がキャスティングボードを握るかたちで、民主党の分裂をも視野に入れた再編の可能性が画策されているように思う。小沢の岡田切り、とか。