obennkyou

ちょっとだけ引用。

哲学もまた、その実践面においては、ソフィストたちの議論と優劣を競う<貴族教育>の一構想であった。だが他方において、人間がその本性からして社会的存在である以上、教育によって得られる知識の基本は、確かな真理に基づくものだと信じられてもいた。教育という使命の広がり、普遍性とさえ言える広がりは、確固たる基礎を有するとされ、人間は本性からして教育可能であって成長途上の者は教育と共に歩まなければならない、とされた。人間は、自発的に、政治的存在としての後には社会的存在としての自己完成を目指して、努力したのである。
いまではそのように考えるものは誰もいない。「育成」は、われわれにとっては歴史的な回想の一テーマにすぎない。いま、われわれは、それが貴族教育の構想に他ならなかったことを、もっとはっきり知っている。社会的に見れば、パイデイアとは、社会的地位と階層と教育の間に関連が存することに立脚したのであり、その教育とは――二つだけを挙げれば――帰属する地位・階層と、それにふさわしい実力を示せるようにするためのものであった。しかし、それは、ローマ帝国キリスト教化に伴って、すでに古典古代末期に変化する。キリスト教徒になるには、教育を受けておく必要がなかったのである。教わる必要のあることはすべて、前もって形成されている教区の集会で教えてもらえた。使徒たちの手紙が、教区集会で朗読された。聖書の救済史が誰にも知られるようになったために、使徒たちの手紙は――とりわけ神そのものを巻き込んだ独特な人間的な関連によって――万人に理解できるものとなった。読み書きできない教区民に教会史を理解させるためには、新しい聖画像がたびたび描かれた。キリスト教が経典宗教になったのは、ようやく初期近代になってからのことである。こうした事情はすべて、教育と、質的に卓越した人間と、社会的階層との関連を弱めることになった。ローマカトリック教会が組織化されることによって、とくにその聖職者教階制によって、さまざまのローカルな関係を超える一個の文化的連関が確保された。その文化的連関とは、さしあたり国家を欠いている一種の市民社会と言えるものであった。(7−8)

これほど人間と教育と社会の関係が変化したにもかかわらず(ポリス→ポリス没落→古典古代末期におけるローマのキリスト教国教化→印刷革命後の経典宗教化→市民社会化?)、分業した近代社会においても人間本位主義が存続し、洗練にもとづく貴族主義や、道徳的優越性の習得といった「人文主義」=「完成」の教育が支配的だった。同様に18世紀末になっても、今度は「啓発」という(「自然的優越性」を前提にするのではない)「主体化」が、教育の目的とされることになった=「新人文主義」。以上。