『疲労』

国木田独歩の遺作に『疲労』という短編があるらしい。再び、『明治思想史』より。

独歩がどんなつもりでこんな作品を書いたのか私は知らない。しかし私はこの短編を読んであたかも明治四十年間の努力そのものの到達した終末の姿を見せつけられた思いがした。ペリー渡米にまで遡って数えれば、日露戦争までには五十何年かがたっている。その間、日本の人達はせっせと外国の文明や文化を採り入れ、日本の近代化に努めてきた。そして全力をあげてロシアと戦い、一応戦争に勝ち世界の強国の仲間入りをした。しかしその揚げ句はどうであったか。なるほど一見日本は西洋に追いついた、少なくとも追いついたかのように見えた。しかし追いついたのは、果して本当の西洋であったのか、その殻にすぎないのではなかったのか、そしてそこからは世紀末的な風さえ吹いてはこなかったか。また西洋に追いつこうとして夢中になっている間に、日本は自分の大事な何ものかを喪失してしまったのではなかったのか。顧みれば自分の中には大きな空虚がある、中味が脱けてしまっている。そして何よりもいけないのは、日露戦争に勝つために日本がくたくたになり、疲労しきってしまったことである。何のための明治四十年間の努力であったのか。それは無意味であり、徒労ではなかったのか。四十、五十の男に起こりがちな人生への倦怠と疲労、それが四十年代の日本をも襲ったのではなかったのか。独歩は、ばたりとその手を畳に落として眠り入った男の顔が、さながら死人のようであったと書いているが、それは日露戦争後の明治の日本そのものの――少なくともそれを反映した一部知識人達の――顔であったかもしれない。(462−463)

引用ばっかりしているけれど、私は引用するのが好きなのです。
高坂は、「私は自然主義の地盤には以上のような明治の疲労が深く蟠っていたのではなかったかと思われてならない」と述べ、「自然主義に共通な虚無感」を見てとっている。