教育政策

相変わらずのスローガン教育。「言葉の力」って、お役所に言われると、すごくナショナリスティックに感じるな。というか、齊藤孝=影山メソッドの影響に、明らかに毒されている。

学習指導要領、「言葉の力」柱に 全面改訂へ文科省原案
(2006年02月09日10時00分、朝日ドットコム)
 「ゆとり」から「言葉の力」へ。約10年ぶりに全面改訂される次期学習指導要領に、学校のすべての教育内容に必要な基本的な考え方として、「言葉の力」を据えることがわかった。文部科学省が近く、中央教育審議会の部会で原案を示す。「言葉の力」は、確かな学力をつけるための基盤という位置づけ。学力低下を招いたと指摘を受けた現行指導要領の柱だった「ゆとり教育」は事実上転換されることになる。
 指導要領は、日本の学校の教育内容を方向づけるもので、すべての教科や教科書検定などの基本になっている。今回原案が示す「言葉の力」は次期指導要領の理念にあたり、現行の「ゆとり」に代わるものになる。今後、これに沿って各論の議論に入り、各教科の授業時数などの教育課程を詰める。文科省は07年度までに全面改訂を終える予定。それをもとに、教科書編集や教育現場への周知の期間を置いたあと、次期指導要領を本格実施する。
 中教審は1年にわたり次期指導要領について議論を続けてきた。
 原案では、日本の子どもの学力について、04年12月に公表された国際学力調査の結果をもとに、成績低位層が増加する「二極化」が進行していると分析。なかでも、読解力や記述式問題に課題があるなど、学力の低下傾向があると認めている。また、学習や職業に対して無気力な子どもが増えていると指摘する。
 これを補うため、次の指導要領では、言葉や体験などの学習や生活の基盤づくりを重視する「言葉の力」を、すべての教育活動の基本的な考え方にすると明記している。原案は「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」と説明している。
 各教科にどう反映させていくかについては、古典の音読・暗記や要約力の促進(国語)▽数量的なデータを解釈してグラフ化したり、仮説を立てて実験・評価したりする(数学・理科)▽感性を高めて思考・判断し表現する力(音楽・美術)――などを例示し、国語力の育成と関連づけた論理的思考力や表現力の重要性を強調している。

たしかに国語を重視するのは必要なことだと思うが、それを「各教科に反映させる」と考えている時点で、スローガンに流れている。つまり、教科特性にたいする配慮に欠けている。役人はバカではないから、こういう適当なことをいうのは、彼らが教育について考えているのではなく、世論や政策的一貫性を気にしているからである。数学で仮説を立てることが「言葉の力」だなんて、人をバカにしすぎだと思うが、世論はこれで満足するのだろう。
こういう政策形成の仕方が、これまでの文教政策であり、「ゆとり教育」だって、そういう線で出てきたのだろうが、それと同じ尻の軽さで、こんどは「言葉の力」を叫ぶわけだ。方向は正しいと思うが、こういう表面的な取り繕いが、混乱を生じさせる原因となっていることはたしかだろう。