『近代市民社会の成立』

以前にも言及したが、成瀬先生。

……「支配される者」と「支配するもの」とが「自由な市民」として同等であるというアリストテレス的な国家=市民社会理論から決定的に袂を分かったボダンと同様に、ホッブズもまた「主権」の所有者に対する「国民」の服従に「国家」Common-wealth設立の目的また存在理由を求めている……。しかし、そのばあい、ボダンにとっては「主権」がまだ実質上「支配者」の主権と観念されていたのに対し、ホッブズにおいては、さらに一歩すすんで、「国家」の主権という考え方が前面に現われ、それによって「国家」概念の近代性、つまりそのインスティテューショナルな性格が、いっそう強調されている点に注意しなければならない。そしてこの変化は、ホッブズが、かれの政治哲学の契約論的構成に対応して、国家に一種の犠牲手人格という性格を与えたことと関係をもっていた。(96)

つまり、アリストテレスは、国家=ポリス的動物としての人間(=×服従関係)と考えていたが、ボダンは、国家に対して人々が服従するのだと考えた。さらにホッブズは一歩進んで、国家=擬人的性格=法人と考えたのである。国家は、国民間での相互契約によって成立する。ゆえに主権者は契約に対して超越的な位置に置かれる。「主権者の側で契約を破棄することはありえない」「主権者とされた者が、その国民とあらかじめ契約を結んだのでないことは明白である」(ホッブズ)。
このような「自然的人間の非自然性」の主張は、「やがてアダム=スミスにおける「商業社会」としての「市民社会」論へとつらなるところの、一八世紀イギリスの道徳哲学の歴史的意義を考えるうえで、注目に値いする」(100)。なぜなら、スコットランド道徳哲学者と、みずからもそれに位置するアダム=スミスとの間には、「ホッブズ的断絶」とでもいうべき亀裂が走っているからである。
たとえば、スミスのグラスゴー大学の師匠ハチスンは、「徳の本性を『慈愛』に求め、人間の性格や行為の正邪を判定する基準を『道徳感覚』に求めた」。しかしスミスは、「人間の本性に植えつけられた利他心を有徳な行為の動機と見、『美』や『公共の善』との関わりにおいて積極的に構築するハチスンの立場に、…そのまま従うことはできなかった」(187−188)。スミスはおそらくルソーやヒュームから影響を受けて、「徳性」ならぬ「適宜性propriety」としての「共感」、すなわち人間本性の経験主義的観察を行なったのである(もちろん、スミスも「人間の本性」という観念自体は有しているわけだが…)。
他にも、ケネー(1694−1774)の重農主義学派に対するスミスの批判、ヒックスがそれを「収入経済」として経済史的に位置づけたことなど、面白い話はたくさんあるが、誰も読まないだろうし、パス。