国学の思想

昨日観た『夜明け前』だが、本当に考えさせられることの多い映画だったので、少しメモしておきたい。
私が思うに、この映画のなかでもっとも重要なセリフは、「しかし半蔵さん、あなたのおっしゃることこそ漢意ではないかと、私は思うのですが…」というセリフである。これを聞いた半蔵は、「惟神」と書かれた床の間の掛け軸を前に、じっと考え込んでしまう。漢意を排すはずの国学思想が、その社会的実践志向ゆえに、漢意そのものになってしまうという逆説。この逆説を生きねばならなかった半蔵がついには狂気に陥ってしまうという救いがたさが、『夜明け前』の文学性を普遍的なものにしているように感じられる。
この点については、島崎藤村を読んでみるのもいいし、もっと直接的には橋川文三ナショナリズム』(紀伊国屋書店)を読むのが良い。図式的には、江戸末期の国学思想は次のような意味をもっていたと考えられる。

一般的にいって儒教が武士階級の教養であったのに対し、国学はむしろ豪農・豪商のそれであった。そして、儒教的教義が究極的には封建体制の正当性を論証する理論であったのに対し、その儒教的規範主義に対して徹底的な批判を行い、その意味で封建的人間論・社会理論の顛倒をひきおこしたのが国学であったことはいうまでもない。(91)

では、国学が地方の豪農層に浸透していったのはなぜなのか。第一に、「庄屋」などの職責への自負心・責任感を支えるイデオロギーとしての意義を担いえたから(「賎吏といえども神勅正統の職(吉村虎太郎)(98)」)。第二に、封建体制の動揺とともに揺らぎつつあった彼らの職業倫理を、「施政受託」の天皇イデオロギーによって糊塗しうるものだったから。第二の理由について、少し引用しておこう。

…一方に神の委託をうけて民衆の護民官たることを職としながら、他方では封建的な交通制度の管理職として働かねばならないということは、危機的な封建体制のもとでは、当然にときがたい矛盾に直面せざるをえないということでもあった。すでに「徳川様の御威光というだけでは、百姓も言うことをきかなくなって来ましたよ」「一体、諸大名の行列はもっと省いてもいいものでしょう。そうすれば、助郷も助かる。参勤交代なぞもう時世後れだなんていう人もありますよ」という会話が村役人たちの間でも一般化していたような時代の中で苦悩した豪農・商の知識人が思想的なよりどころとして見出したものが前に述べた施政受託の弁証であった。しかも、その正当性は、もはや動揺期にある将軍からではなく、とおく古代にさかのぼる神々の心に由来するものとみなされたのである。そしてこうした神意受託のロジックこそ、まさに国学の先人たちによって明かにされたものであった。(99−100)

しかし、宣長の説いた主情主義的・非規範主義的な「神ながら」の現状肯定が、平田国学の実践的性格へと転換していったのは、なぜであろうか。この転換ゆえにこそ、半蔵は御一新に執着し、またその実状に失望するという「漢意」を味わうことになった。そしてその漢意が、天皇に直訴をおこなうまでに半蔵を追いつめ、彼を狂気に陥れていったのである。この思想的逆説は、以下のように説明される。

…しかし、まさにそうした非政治的な服従精神は、すべての時代的・歴史的な政治形態に無差別な服従を説いただけに、それだけにかえって幕藩体制への実質的な忠誠心を空洞化するものでもあった。宣長がその「くずばな」において「さかしらなる世は、そのさかしらのままにてあらんこそ、真の自然にはあるべきにそのさかしらを厭い悪むは返りて自然に背ける強事(しいごと)なり」という時、幕藩体制はそれが本来の幸福な世界ではなく、不自然な人為的作為の世界であるとしても、かえってそれを神意のあらわれとして素直に服従すべきだという逆説にみちた「正統化理由」を与えられたことになる。そしてこうした「正統化」はまさに丸山真男氏のいうように、「現秩序に対する反抗が否認されると同時に、その絶対性の保証もまた拒否する」という意味をもったのである(丸山真男『日本政治思想史研究』)(101−102)

『夜明け前』はフィルムセンターで5月21日(日)にまた上映されるので、ぜひ観られると良いと思う。