江藤淳『文学と私』

甘美な孤独に近接する死。

私が最初に文学書に接したのは、学校から逃げ帰って来てもぐり込んだ納戸の中でである。実際この納戸は、母のいない現実の敵意から私を保護してくれる暗い胎内であり、私にもうひとつの魅惑的な現実、つまり過去と文学の世界を提供してくれる宝庫でもあった。そこには祖父の大礼服や勲章や短剣があり、祖母の若かった頃の着物や文庫や写真類があり、外国の絵葉書や母の筆跡で書かれた育児日記があり、要するにありとあらゆる失われた時が埃といっしょに堆積して生きていた。母の育児日記には、「今日淳夫、まわらぬ舌で『走れよ仔馬』を調子外れにうたう」などという記事があった。……
……今から思えば、私は結局存在しないものに憧れていたのかも知れない。あるいはもっと端的にいえば、存在しない世界に行ってしまった母のあとについて行きたかったのかも知れない。それが死にたいという欲求のかたちをとらなかったのは、六歳半の私に「死」と「不在」の区別がはっきりつけにくかったからにすぎない。遊び友達は私が学校から逃げ帰るようになって以来、「ずる休み」という道徳的非難をあびせて私の「悪」を糾弾していた。この点では義務教育の励行されている日本中のどこへ行っても、私が「善」になる可能性は全くないのである。私は「悪」であり、「出来損い」であり、同時に肺病であった。私が安住できる場所は「不在」のなかに、つまり書物のなかにしかないはずであった。……

http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20050502/p1
http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20050830/p3
http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051211/p1