益田勝実

昨日疲れて帰宅したあと、眠る前に、益田勝実「国語教師・わが主体」(1961)を読んだ。こんなことが書いてあった。

今日の「基本法」改悪の可能性の危機下での今井誉次郎の簡潔なむだ一つない提唱を、一つの今後のよりどころにしなければならない、とぼくは思った。ぼくは以前の「『炭焼日記』存疑」という文章の中で、生活綴方的教育の思想が柳田国男の国語教育思想といちじるしい共通性をもっている面に気をつけてみたことがあるが、こんどもその点について深く感じる点が多い。一方は話し・聞く教育を根底とし、一方は書く教育を根底とし、まったく方法的にちがいながら、共通基盤を幅広くもっている。まえに、「憲法」「基本法」から、上から考えてきての、民主社会の建設→民主的な言語生活の確立→<正しいことば><科学的なことば><人間愛のこもったことば>の観念的な規定をうしろめたく思いつづけてきた、といったが、あらためて、それを下から、民族の歴史的状況と今日的状況のかさなりあう地点、ぼく自身の自己変革と若い世代の新しい人間の形成上の要求とが重なりあう点からつかみ直し、その上でぼくの教育上の目的意識を強化しなければならない、と考える。(315)

柳田國男の国語教育論については、これ。
http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20050624
「あらためて、それを下から」という益田の言い方に、1961年時点での、革新側の教育者のニヒリズムを読み取らねばならないだろう。

柳田國男の言葉をー引用者注、)一九六〇年・六一年という今日の時点でも、色あせないどころか、煮え湯のような熱さを感じつつ呑み下さねばならないことに、われと驚く。柳田のこれらの戦争直後の提唱うはすべて無視されてしまった、といってもよい。それを無視したのは、かれがぜひ見せたいと思った「文部省の人」だけでなく、ぼくらもまたそうではなかったろうか。ぼくは、こういいながらも、そういう考え方はわかる、そういう立場は結構だ、だが、実際的には、それから先どうするのだ、それが出てこないからやれないのだ、という例の毎度おきまりの型の批判が、すぐぞろっと出てきそうにさえ思う。そういなされてもよい。いままでぼくがどちらかというと文学教育や作文教育の方に熱意を抱いてきたのは、言語教育が狭い読解教育におおわれている状況に対する一つの反発からきているとも思える。どうしても、日本の民族の運命にかかわる自分の問題として、国語の問題と正面から取り組まねばならない。(316ー317)

ニヒリズムを超えようとして、益田の場合は、「読解教育の偏重を是正し、文学教育・作文教育を豊かにする」という戦略にコミットしたわけである。ニヒリズムから政治化の戦略を取った例も多かったし、また教育学的ボキャブラリーを内面化する戦略も有効とされた。