『丸山眞男―リベラリストの肖像』

苅部直著。今年で没後十年を迎える丸山が、今日なお生命力を保ち続ける「思想家」であることを十分に解き明かした好著。
超国家主義の論理と心理」(1946)と「歴史意識の古層」(1972)との懸隔それ自体が、丸山の思想家としての本領を指し示すと私は直感していたが、その懸隔の具体的内実が、本書でようやく腑に落ちた。四谷に生まれ育ったこと、(エリート職とはされていなかった)ジャーナリストの父を持ったこと。こうした生い立ちから説き起こし、丸山の政治的バランス感覚と、その裏側に存在する自己葛藤的気性が、新鮮なエピソードとともに明らかにされている。またそのバランス感覚は、1950年代後半からの「精神的スランプ」の時代、自己葛藤へと重心を移していくのだが、その精神史的プロセスもはっきりと理解することができた。
私なりに整理すると、丸山が自らに課した政治哲学上の課題は、第一に、天皇制(Tenno System)に内在する日本人のずるずるベッタリな情緒的共同性を批判すること、第二に、大衆社会状況に包摂されない政治的仕組みを構想すること、であった。第一の批判については、よく知られているように、国民的主体性の構築がその解とされている。しかし第二の論点は、丸山が1950年代後半以降寡作となったこともあって、十分に理解されているとは言いがたい。「忠誠と反逆」に見られる自己葛藤的心性の称揚、また早い時期から構想されていた中間集団の活性化などは、大衆社会状況のなかで「他者感覚」の涵養をめざす議論であった。そうした大衆社会に対する懸念は、「前期的ナショナリズム」を批判した丸山像とうまく結びつかない面があったといえる。
じつは、「日本におけるナショナリズム」(1951)以後、「ナショナリズムの再生という課題を、丸山はほとんど口にしなくなる」(174)。この事実は重い。丸山は、市民の政治への関与は危機的な場面に限るべきであり、政治とは本来、地味で「散文的」なものであると述べていた(これは、小田実のパワーによってベ平連が大衆運動化したことに個人的違和を表明する鶴見俊輔の立場とも近い)。したがって第一の論点における、国民の「主体化」という「解」も、本来、「他者感覚をもった個人の成熟」を唱えたものとして理解されるべき議論だったのかもしれない。だが、それが戦後民主主義の政治的綱領のごとく受容されたことが、丸山をめぐるあらゆる誤解の出発点となってしまった。読者の「他者感覚」のなさが招くこうした悲劇は、現代的問題といって差し支えないものであろう。