もはや名著!?『近代日本の陽明学』

小島毅『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ)。一般教養書としては、最高品質。読んでいてクラクラした。
アメリカのプラグマティズム、フランスの普遍主義、ドイツの教養市民理念。それぞれに功罪両面あるとすれば、近代日本で問われるべき特性とは「純粋動機主義」ではないだろうか。社会科学的な概念枠組の精緻化がもう少しあればもっと良かったのだが、本書では朱子学に対する「陽明学的なるもの」の追究を通じ、日本の近代思想の本質的特徴が見事に浮き彫りにされている。
筆者によると、陽明学とは、朱子学からの挫折を経た思想なのだという。理を「わが心の働き」に求める陽明学的特性は知行合一としての実践哲学であり、水戸学とも親和的に働きつつ、幕末における革命イデオロギーとして機能した。大塩平八郎頼山陽の知己であった。頼山陽は編著『日本外史』によって幕末の勤皇の志士たちに大きな影響を与えたが、朱子学陽明学はこのような微妙な関係性で結ばれている。陽明学的体質を持った吉田松陰は、こうした水戸学の影響下で、神国思想(これは国学からの影響)と国体論を結合させた。
興味深いのは、この種のココロ主義(良知の思想)が、明治の思想家らに引き継がれていくことだ。三宅雪嶺内村鑑三、三島中州、新渡戸稲造陽明学会所属!)。キリスト教者らも、プロテスタントの教義のなかに陽明学的なるものを見出したのである。
日清戦争後、「開化VS国粋」の対立から「伝統を保持しながらの文明化」の路線への一本化が生じるようになると、「陽明学的なるもの」もさまざまな思想形態に変転していく。カント、武士道、社会主義。だがそれらは「陽明学的」である限りにおいて、性善説にもとづく、精神主義的観念性を容易に帯びるものであった。なお本書第五章では、高畠素之、大川周明安岡正篤国家社会主義者が取り上げられ、安岡にもっとも陽明学的メンタリティーが見出されるとともに、その対極としての高畠素之に高い評価が与えられている。
本書最終章で取り上げられるのは、山川菊枝と三島由紀夫である。なぜこの二人なのか、という点は、あえて秘密にしておこう。しかし、両者の行動原理がともに水戸学=陽明学的な観点から読み解きうることは、日本的な左翼・右翼のあり方を考える上で、きわめて重大な意味を孕んでいる。そのうえで本書は、三島由紀夫の根本的な捉えなおしを示唆し、閉じられている。
以上、簡単に紹介してみたが、じつは本書のもう一つのテーマは「靖国問題」にも置かれている。私はこれを読んで、やはり「靖国参拝」というのは歴史的・思想的に低劣な行為であると納得することができた。(もちろん高橋哲哉とは全く別の論理で。)ぜひ読んでみてください。必読の良書です。

近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)

近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)

のちに陽明学化された西郷隆盛理解については、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20050502大川周明については、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20060601岸信介陽明学的?朱子学的?、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051016国学については、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20060414。観念右翼については、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20060227。右翼ならびに左翼の論理は、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051116日本共産党については、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051207