引用

村上一郎岩波茂雄」。

「岩波文化」と「講談社文化」という類型わけはいちおう可能であろうと考えられる一面、両者の対質性とともに同質性を考えねばならぬことを、今日痛感する。……ぼくらは、むしろ「岩波文化」と「講談社文化」を、もうひとつ大きいカッコに入れてくくった上で(ここに「アカハタ」なぞも入っていいだろう)それに対立する、別の文化類型を考えてみるべきだと思う。「岩波文化」に対立さるべきは、いろいろな差はあり条件はちがっても、「人をきたえない」「教育しない」型のものである。

吉田健一「二十年後の日本文学」。

…文学は(そして教養も)万人のものであり、従つて万人がこれに接する機会を得なければならない。だから、解説書でも何でも出して、さういう機会を作つてやらなければならないといふのである。つまり、このだから、から後が間違つてゐるのであつて、機会を得させるということが、万人に文学を押し付けることになれば、民主主義はその時消滅する。

以上、孫引き。