黒木和雄『紙屋悦子の青春』(2006)

新文芸座。必死で観にいった。

原作:松田正隆 監督:黒木和雄 脚本:黒木和雄/山田英樹 音楽:松村禎三 美術監督木村威夫 撮影:川上皓市 照明:尾下栄治 録音:久保田幸雄 美術:安宅紀史 編集:奥原好幸
出演:原田知世 永瀬正敏 松岡俊介 本上まなみ 小林 薫

難解な映画だ。描かれるのは昭和二十年の三月終わりと四月初めの四日間、および回想時点の一日を合せた五日間のみだ。
病院の屋上で見上げる空、夕焼けに染まる山、山の彼方から聞こえる波の音。記憶のなかの桜。桜が咲き、散っていく間の、僅かだが特別な日々。
この映画では戦争は描かれない。年老いた夫婦がその後をどのように過ごしてきたのかも分からない。しかし映し出される日常の背後には、別の人間の別の日常が営まれており、戦争で滅び行く日本があり、さらに数十年後にそれを想起する夫婦がいる。
回想する老夫婦の耳には、屋上を吹きぬける風の音がごうごうと鳴り響く。全編を通してBGMがほとんど鳴らないのは、夫婦がその人生をずっと耳を澄ませて生きてきたからだ。明日国が滅びるかもしれないという予感のなかで、自然の律動に耳を傾けることだけが、滅びゆくものを超えた永遠なるものの確証でありえたのかもしれない。では老夫婦にその確証作業の積み重ねを強いた戦争とは、戦後とは、何だったのか。深くて難しい問いが残されている。