Arendt

『UP』7月号、長谷部先生のエッセイ。バーリンのArendt評。「深遠な哲学的ないし歴史学的思想について何の議論、何の証拠も提出していない」。「彼女の著作はすべて、いわば形而上学的な自由連想の流れです。彼女は一つの文章から次の文章へ。その間に何の論理的な連関もなく、また合理的なつながり、あるいは想像力によるつながりもなく移っていきます」。
長谷部氏、「門外漢である筆者の受ける印象も、これとさして変わりがない。少なくとも彼女の書いたものは、いずれも著しく読みにくく、言わんとすることが明瞭でない。」
たとえば「政治」の観念。「真正な政治」活動とは「言論」だとされる。では「言論」の内容とはいうと、「それは何と政治自体である」。経済政策や社会政策は「真正な政治」とはなりえず、それが政治に関与することは徹底的に避けられなくてはならない。「多くの市民の面前で公に討議し、卓越した弁論の能力を示すことで、自分の死後の世代にいたる記憶を残すこと、それを通じて政治そのものを持続的に可能とすること、つまり政治的な討議と決定を可能とする諸条件を構築すること」、これがきわめて美学的に条件づけられたArendtの「政治」概念なのである。
これは「どう控えめに見ても、尋常ならざる・・・常軌を逸した政治観ではなかろうか」。Arendtの「取り扱いは、その信者に任せておいて、筆者としてはより対話に値する学者の研究をしたいものだと考えている」。
これはキツイ発言ですね。