幸徳秋水

第4章「幸徳秋水における伝統と革命」。幸徳の多面性は明らかにされているが、そのぶんコンパクトさに欠ける叙述となっている。
すでに確認したように、「商業に新しい政治的徳を見出す立場(福沢諭吉徳富蘇峰スコットランド啓蒙主義)」と「経済を捨象した政治活動こそが徳を実現するという立場(中江兆民=古典的共和主義・儒教)」とは、理念的に鋭い対立軸をなす。幸徳秋水中江兆民を師と仰いだことから後者の立場にコミットしつつも、「武士道」(=「貴族的道徳(蘇峰)」)という観点から、経済的組織による道徳性の担保を構想することになった。彼の「社会主義理念」の根幹はこの点に認められる。
すなわち幸徳の「社会主義」は、武士道の道徳的立場を経済的側面から支えた「主君」の機能を「社会」に負わせることによって、「衣食足りて礼節を知る」状態を創出し、経済的基盤の整備に支えられた公徳心を涵養しようとするものであった。福沢などは武士道を親の敵と見なし、その「自主独立」も「世禄といふ恒産ありし」ゆえのものと冷ややかな見方をしていたが、幸徳にとって「武士道」は、明治30年代の「武士道」ブームを背景としつつ、「道徳的存在」としての理想像を供給するとともに「独立の生」を可能にするものと観念されたのである(ただし幸徳の「独立」概念は詰められていない)。幸徳は文明社会をこのような伝統的道徳観念によって基礎づけ、「社会主義」を説いた(たとえば「分業」を家族的「恩恵」をもたらすものだと見なした)。
しかし平等という近代的観念を奉じる幸徳にとって、「武士道」における軍事的特権性のニュアンスは、脱色させられるべき意味をも帯びていた。「武士道」と通底する「元気」の観念は、万物創造の始源的エネルギーとして、民権派にひろく浸透していたが、幸徳は「元気」の観念を引き継ぎつつも、それを「豪傑君」ならぬ「洋学紳士君」(中江兆民)の方向へと非軍事的に読みかえる。真の「元気」を非戦論的なラディカリズムとして理解することで、「洋学紳士君」の理想主義を継承したのである(「志士仁人」=「戦闘者」(武士)ならぬ「読書人」(儒教)としての倫理)。
とはいえ、伝統思想内部での諸要素の葛藤は、幸徳自身の「革命観」の変遷において、微妙な影響を及ぼすことになった。「新年」のなかにエネルギーの循環運動としての「革命」イメージを読みとった幸徳は、「革命」を「進化」の「画期」として観念するのだが(「つぎつぎになりゆくいきほひ」:究極目標をもたない「線形な継起」(丸山真男))、「誕生―生成―衰亡―死―再生」というサイクルに位置づけられることによって、幸徳における「革命」観は、「一刀両断」的な「豪傑君」のイメージへと変容していくのである(「即物的なエネルギーの「噴出」のイメージ」)。
まあ要するに、幸徳秋水もなかなか面白い人物だ、そして福沢はやはりシンプルながら偉大な思想家だ、ということ。(←ここだけ読めば、上は読まなくても可。まあはじめから読まないと思うけど。)