森田芳光『ハル』(1996)

(119分・35mm・カラー)パソコン通信で心を通わせる孤独な男女のデリケートな感情に迫った森田芳光監督作品。高瀬比呂志は本作や『失楽園』『39 刑法第三十九条』などの同監督作品をはじめ、現代日本映画の撮影界を牽引するキャメラマンの一人であったが急逝した。
’96(光和インターナショナル)(撮)高瀬比呂志(監)(脚)森田芳光(美)小澤秀高(音)野力奏一、佐橋俊彦(出)深津絵里戸田菜穂内野聖陽山崎直子竹下宏太郎、水野あや、王紀平、楊学斌、銭波、八木昌子潮哲也平泉成

なかなかの傑作だった。「パソコン通信」っていうのはよくわからないけども、96年当時、深津絵里(ホシ)と内野聖陽(ハル)みたいな美男美女が「パソコン通信」をやりあう状況というのは、本当にあったのだろうか?ピッチが普及しはじめた携帯以前の時期にあたると思うが、コミュニケーション環境の変転のすさまじさを感じさせられる。
それにしても深津絵里が良かった。恋人と死別した痛みからずっと立ち直れないでいる、という古典的設定。盛岡に住み、職を転々としつつ、夜はパソコン通信。立派な本棚に、村上春樹の小説に囲まれ、恋人の思い出の品が置いてある。
私の好みを言えば、この本棚が良かった。それに深津絵里が最後に落ち着く職が(岩手県立図書館の)司書なのである。わたしは本好きだが、それ以上に好きなのは、本好きの美人だ*1。萌えポイントをぐりぐり押され、思わず「深津絵里とのパソコン通信」に過剰に感情移入することになった。
すると、私は相手役のハルこと内野聖陽ということになるが、この内野がまた爽やかなのだった(大河ドラマ山本勘助やってるヒトね)。恋愛映画でよくあるのは「せっかくの美人が、こんな男に惚れるのかよ?」というガッカリ感である。そういう問題は微塵も感じなかった。まさに深津絵里にふさわしい納得の男前。性格のしつこい私が同一化するのにそぐわないという問題だけが残るが、そこは反実仮想の世界なのであった。
なんだかふざけて書いてしまったが、とにかく男女が恋愛にいたる一番いいところを、メールの文面からバッチリ浮かび上がらせた手腕はすごいと思った。それに生身の二人が出会うラストシーンを、メールのやりとり中の昂揚感を超える感動で描くのは、なかなか出来ないことだとも思った(幻滅とか、そういう問題が発生するからね)。初めて会った二人の、とくに深津絵里のはにかんだ笑顔が、これはもう文句無しに萌えなのだった。

*1:たぶん中高生のときに、「普段は話すこともできない女の子と、奇跡的にも、好きな本のマニアックな話題で盛り上がる」式の妄想をやり過ぎたからであろう。中高一貫男子校の弊害か?