中学一年の私はなぜHR委員に立候補したか?

2日前、次のように書いたんだけど、これは私の趣味にすぎないよなと今日思った。

だが、私たちポストモダン世代に言わせれば、アインデンティティーを問う様式さえ分からないほどに、アイデンティティー問題は希薄化してしまっているのである。「こういう筋道で問題をとらえればアイデンティティー問題は解決できる」という感覚が、もはや失われてしまっている。だから、歴史に遡及することでしか、自己の位置は確認できない。そういうリアリティーがある。

そう思ったのは、次の文章を読んだから。

ボーラーのこの指摘は、重要であろう。歴史は、かつてはさまざまな偶然性から成るカーオスとして、理性的秩序の統一性に対峙した。しかし、今や、偶然性を排除する歴史哲学が、歴史を「生活世界」から引き離して、政治的秩序の「自己保存」に奉仕させることになる。偶然性の領域としての「生活世界」は脱歴史化し、とくに鋭い感受性(ボーラーはこれを「詩的メンタリティ」と呼ぶ)の持主において、「生きられている現在」のみから成る「美的モデルネ」の舞台になったのである。(村上1992:30)

私は別に「偶然性を排除する歴史哲学」を信じるわけではないけど、それでも歴史があると安心できる。むしろ「美的モデルネ」の緊張と不安定がつらいので、歴史に行くわけだ。でも「美的モデルネ」にこだわる人にとっては、美的なものとか、場合によっちゃサブカルとかの方が意味を見出しやすいかもしれない。まあ、意味なんてないんだけどね。
スタロバンスキーを読んで「ああルソーってこういう人なのね」と分かった気がしたので、『不平等論』を精読して先日読み終えたのだが、彼の自伝的著作と政治的著作のつながりを理解するには、ルソーその人を理解する必要があるようだ。
これは私自身も、ものすごく身に覚えのあることなのだが、私は小学生の時に、先生からずっと「天の邪鬼」と言われていた。これはキミーの家庭教育と関係する。キミーは私にずっと「人と違うことをやれ。人と同じことやってたらアカンでぇ」と言って私を育ててきたのである。
そうなると私は「天の邪鬼」になるしかない。人と同じことをやってはいけない、自分は他人とは違う、人とは違う自分を他人に理解してもらわなければならない。そうすると「○○くんって、こういうこと考えているんやろ」とか「○○くんって、こんな人やんな」とかの類型化は最も避けられるべき評言となる。「他人に理解されるような自分」は、所詮、「他人がどこかで見たことのある、ありふれた自分」でしかないからだ。
だから、<「他人には決して理解されないような自分」を他人に理解してもらわなければならない>という離れ業が必要になる。これが「天の邪鬼」な性格を導く。小学校一年生のとき、母親が個別面談に学校に来たら、「アホの○○のオカアチャンや〜」と言われ、母親がショックを受けた。私があまりにも奇妙な言動を見せていたせいである。
一言でいうと、問題は「外観と存在の不一致」なのである。「外観」とは「外見から見える私としての私」であり、「存在」とは「内奥にある私としての私」である。「両者は一致してならない」という自己の美学が、その「不一致」を必然化させる。
自分で櫛を壊しておきながら、それは私じゃない、という『告白』のルソーは、「外観」としての自分を拒否することによって「内奥」の自己を守ろうとする、天の邪鬼である。分かってほしいのに、分かってもらいたくない、という矛盾した感覚。分かりますかね?
「外観と存在の不一致」が政治理論に反映されるとき、存在の堕落形態としての文明批判になる(逆に、未来社会を理想化しようというパターンもある。それが一般意思。)。文明によって利己心が芽生えると、存在と外観がぴったり一致していた原始時代とは異なり、自分ではない自分が、本来の自分を蝕んでしまうことになるのである。
ともあれ自己論に戻ると、これは「生きられている現在」の先鋭化、というべき自己意識であり、ロマン主義である。自分にとってだけリアルなもの、をロマン主義的自己は追求する。「生活世界」によっては、そのような自己は自らを支えることができない。「内奥の自己」(存在としての自己)は「外観の自己」によっては埋め合わせできないからだ。だから「美的」としかいいようのないものの追求に向かわざるをえない。
こういう生き方をすると疲れる。実際、小学校生活に疲れ切った私は、中学に入学して心機一転、自分をできるだけ型にはめようと決意したのだった。だから中学一年生の私は、手始めに自ら「HR委員」に立候補したのであった。(つづく)