ギレルモ・デル・トロ『パンズ・ラビリンス』(2006)

PAN'S LABYRINTH スペイン・メキシコ合作映画 スペイン語 1時間59分 監督: ギレルモ・デル・トロ 出演: イバナ・バケロ、セルジ・ロペスマリベル・ベルドゥ
1944年スペイン、自由なき暗黒の時代。母が再婚したビダル大尉になじめないオフェリアは、ある日迷い込んだ迷宮でパン(牧神)に出会い「魔法の国の王女だ」と告げられ、夢と希望を託すが……現実と幻想が絡み合い、それぞれの闇を容赦なく映し出す、ダーク・ファンタジーの金字塔!!

ギンレイホール。「ダーク・ファンタジー」とはウマいこと言った。子供が見たらグロテスクだし非人道的なシーンも多いのでショックを受けるに違いない。油でギトギトの蛙の内臓とか、人間の形をした肉の塊とかが出てくる。
思想史の知識がない日本人だと、「エグいファンタジーだなぁ」という感想を抱くか、「フランコ体制批判?(ファシズム批判を含む)」ぐらいにしか思えないかもしれない。でもロマン主義についての知識があると、この映画の深さが分かる。
ロマン主義啓蒙思想とほぼ同時に現れた(時期的には1760年代〜1770年代くらい)。そもそもカントの道徳哲学に、ロマン主義を導く契機が胚胎されていたと考えられる。
批判書で理性に限界を画したカントは、道徳哲学で「汝の意思の主観的格律が普遍的な立法の原理となるように行為せよ」と説いた。要するに、自分でこれが普遍的だと思える主観的目的を、自分自身が意欲しうるかたちで追求すべきだ、というのがカントの主張である。
ポイントは、その目的が「自存的な目的」でなくてはならないことだ。何かの権威に従属したのでは、その目的は「手段的な目的」にしかならない。「それ自体としての目的性」を志向してはじめて、自律的な理性的存在者は完成する。「自分で考えない」「他律的な人間」は道徳性には至りえない。
カントは人類が理性的存在者として完成されると考え、啓蒙が完成すると予見した。しかしここに楽観性を見て取るのがロマン主義である。
このとき問題となるのは、理性的存在者としての個人が「自存的目的」を(それが自存的であるがゆえに)自身で選択し、意欲しなければならないという事実である。目的は比較や功利性によって選ばれてはならない。純粋な意思による選択こそが選択の唯一の原理である。そこで原理的に要請されるのは、<「自存的目的を意欲しない」という選択肢>が与えられなければならないという逆説的条件である*1
つまり人間は堕落の可能性が与えられてはじめて理性的存在者を志向できる。動物とは異なる「人間の人間らしさ」は、堕落・破滅の可能性にこそある。この点を敷衍したのが啓蒙思想にやや遅れて生じたロマン主義的思考であった。
堕落や破滅を引き受けること、ここに「悲劇」の「悲劇たるゆえん」を見出したのがたとえばシラーである。Berlinによると「人間は、自由であるべきであれば、たんに義務をなすために自由であるだけでなく、自然に従うか、義務をまったく自由に果たすかを選択することにおいても自由でなければならない」*2というのが、カントの読みをズラしたシラーの考えであった(邦訳125)。
作品中、主人公の女の子は、精霊に不思議な知恵・命令を授けられるが、少しずつその教えに背くことによって、救いがたい結果を生むことになる(たとえばお母さんが死ぬ)。またラストでもう一度、女の子は精霊の指示を正面から拒否し、そのことによって悲劇的な結末がもたらされる。
しかしこのことは、「自然に従うか、義務をまったく自由に果たすかを選択することにおいても自由でなければならない」というシラー的「悲劇」における、人間存在の崇高さの表現なのである。この作品に出てくるフランコ派の軍人、スペイン人民戦線ともに、すべてが愚かな人間たちである。「愚かな人間たちの崇高性はありうるか」という問いに対する、一定の結論は結末で示される。愚かさと同時にあるような人間の崇高さ!(愚かさを引き受ける決断において示される人間の本源的自由!)
もっともファシスト体質の大尉の存在がきわめて微妙な意味を帯びることには留意すべきである。ファシズムって、ロマン主義と密接な関係があるからね*3。といって、まさかスペイン人民戦線を「善玉」に仕立て上げるわけにはいかない*4。「人間の愚かさを超えた崇高さ」というファシズムとも共通する思想課題にあえて乗っかりつつ、ストーリーを作ったというのが、この作品の奇妙で面白いところである。

*1:そうでなければ「選択」も「意欲」もできない。

*2:注釈すると、「自然に従う」ことが「他律」を意味するのに対し、「義務を果たすこと」がカントの「自由」である。しかし「自由」を選ぶことをたんに「義務」とするのではなく、この「義務」を選択することも含めた「自由」が考えられるべきだ、というのがシラーの思想である。

*3:実際、作中のファシストが「人間の崇高さ」を真面目に追求していることは疑えない。

*4:そのように見えるかもしれないが、そんなわけがない。