『カント』はとても面白い

坂部先生の『カント』を引き続き読んでいるのだが、これがとても興味深い。全体が詩的円環をなしているような趣がある。

ちょうどレヴィ=ストロースがルソーにその創始者をみた今日の人類学(…)が、自己のぞくする文化や自己の主体のあり方をたえず対象化し相対化する、という、いわばたえずくり返しみずからの自我の存立をおびやかすようなあやうい境地にその成立の場面をもつのとおなじように、カントの「人間学」にも、近世的人間主体の自覚という作業が、自己の存立基盤そのものをあやうくする、そのぎりぎりの地点からすくなくともそれほど遠からぬところで成立していた、という一面があったのではないだろうか。(44)

カント哲学の思想的出発点は、ニュートンライプニッツの調停という課題にある。カントは処女作や『天界の一般自然史と理論』などで、ニュートン的機械論的秩序を自然科学的に探究したが、それは「論理的には、ライプニッツ的目的論的秩序の部分的検証をねらいとして探究」されたものであり、「事態的には、後者(注、ライプニッツ)は前者(注、ニュートン)の探究に先立って存在する前提として、一貫して研究を導く原動力となるものにほかならな」かった(83)。
だが1759年−60年の「オプティミズム試論」でも示されたライプニッツオプティミズム形而上学への依拠は、30代半ばのカントにとって不安定な裂け目の存在を否定できないものとなった。著者はそのことを「リントナー宛書簡」から読み取る。こうして1750年代の「独断的―自然科学的」時期から1760年代の「懐疑論的―経験論的」時期へと、カントは思想的な転回を体験するのである(108)。
この転回が、ヒュームとルソーによって決定づけられたものであることは周知の事実であるだろう。

ヒュームの影響が、…とりわけその因果律の確実性をめぐる批判によって、カントの信奉していたライプニッツ=ヴォルフの形而上学の限界を知らしめ、独断のまどろみを破って、思弁哲学の範囲における考究にまったく新たな方向をとらしめたとすれば、ルソーの影響は、もっと端的に1750年代の知的貴族主義的・学問至上主義的な態度からカントを解き放ち、生きた人間とその実践の世界へと連れ出すことになった。(128)

神の合目的的秩序の解明へと向かわない人間を、1750年代以前のカントは怠惰な存在として見下したが、この態度がルソーによって正されたのである。
こうして1760年代半ばになるとカントは『美と崇高の感情に関する観察』などでモラリスト的な人間観察を示すようになった。それまでにも自然科学や『自然地理学』など具体的なものへの関心は強く存在したが、それが直接に人間へと向けられるようになったわけである。
なお、1760年代前半における「人間的ないし人間学的関心と、形而上学をはじめとする諸学をめぐる方法論的な関心」(146)というカントの二つの主要な関心は、『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』(1766)において総決算を迎える。「視霊者の夢」とともに「形而上学の夢」を検討したカントは、そのどちらにも加担することをせず、これによって「人間の理性の限界に関する学」としての形而上学という構想を得るにいたった。その後、『可感界と可想界の形式と原理』(1770)ののち10年ほどの沈黙を経て、カントは『純粋理性批判』を公刊する。
最後まで読んでくれてありがとう。