「大きな物語」はなくならない

「論壇」の権威低下を「大きな物語」の崩壊と同一視する、頭の悪い人たちについて先日言及したが、ゴダールの映画を見たり関連本を読んだりして、ひとつ重要なことに気付いた。

  • ポストモダンにおいて「大きな物語」は失われた、との了解があるが、これは大きな間違い。
  • 1760年代以降に開示された社会認識の有効性が1960年代に批判され「人間の終焉」などが叫ばれたわけだが、200年程度の有効性しか持ちえなかった学知の体系が「人間の終焉」などをもたらすはずがない。勿論、それが「大きな物語」であるはずもない。
  • 確かに「中くらいの物語」は喪失したかもしれない。が、ソクラテスプラトンアリストテレス以来(タレスまで遡ってもよい)のヨーロッパ読書共同体は時代を超えて永続する。
  • 「明晰でないもの」をすぐに「実存の問題」に解消してしまうフランス人が、上記の世界的誤解を招いたように思われるのは気のせいか。とはいえ、象徴主義などのフランス的思潮は、近代的学知の失効を契機とするヨーロッパ的伝統への回帰と見なしうるので、大きな目で見れば正しい。これがミソ。
  • 他方、ニューアカとその追随者という劣化コピー集団。
  • そのまた他方、ドイツ思想はさすがの懐の深さ。

ゴダール『彼女について…』の論法に「40年前」という古さを感じたのは、こういう次第だと思われる。