稲垣浩『日本誕生』(1959)

(124分・35mm・カラー)原作:「古事記」「日本書紀」(8世紀前半)日本神話の世界に正面から挑み、「東宝映画1000本製作記念映画」と銘打たれたオールスターのスペクタクル映画。ダイナミックな時代劇で定評のある稲垣浩らしい迫力ある作品になっており、スサノオノミコトによる八岐大蛇(やまたのおろち)の退治など、多くのシーンで円谷英二による特撮が用いられた。ヤマトタケルに扮して女装にも挑んだ三船敏郎にも注目。
’59(東宝)(監)稲垣浩(脚)八住利雄菊島隆三(撮)山田一夫(美)伊藤熹朔、植田寛(音)伊福部昭(特技監督)円谷英二(出)三船敏郎鶴田浩二原節子司葉子水野久美上原美佐香川京子田中絹代乙羽信子杉村春子久保明宝田明小林桂樹加東大介三木のり平有島一郎柳家金語楼榎本健一、朝汐太郎、中村鴈治郎東野英治郎平田昭彦志村喬

マサッチ的に言うと、景行天皇中村鴈治郎)が「天皇」、大伴建日連(東野英治郎)が「アメリカ=資本(=戦後日本)」、ヤマトタケル三船敏郎)が「戦死者に体現される日本ナショナリズム」に該当する。
「すめろぎ」は人になってしまったので、政治を動かす主体は「アメリカ(資本)」であるが、この背景には「戦死者」の怨恨感情がわだかまっている。「アメリカ(大伴建日連)」の差し金により「ヤマトタケル」が死ぬことで、「大日本帝国」によって無為の死を余儀なくされた「戦死者の死」が反復される。
つまり「本来的な日本ナショナリズム」は、戦前と戦後の二度、裏切られている。一度は「大日本帝国」によって*1、二度目は「戦後日本(=アメリカ資本)」によって。(そのどちらもが「偽のナショナリズム」であることは言うまでもない)。「本来的なナショナリズム」は行き場を失い、わだかまり、わだかまることで、「理念」へと昇華される(ヤマトタケルが白鳥に変貌する姿はその象徴)。
「日本の敗れる神が、敗れるがゆえに崇高である」というのはカッコいい思想だが、そのヤマトタケルが、敵ながら信頼するクマソの弟(鶴田浩二)は、上記のことからすると明らかに「ソビエト」に当たる。
豪華キャストで、なかなかの名作。ヤマタノオロチキングギドラそのものだったり、特撮技術が大変素晴らしい。

*1:クマソを討伐し、すぐに東国へと派遣されるヤマトタケルは、その戦いが「無意味な戦い」であり、「スメラミコトが命じるがゆえの戦い」でしかないと明瞭に自覚している。明らかに大東亜戦争のメタファーである。