秋葉原の事件

報道されている犯人の言動から読みとるかぎり、「自分の尊厳を否定した(された)人間が他の人間の尊厳も否定する」という、悲劇の構図(の反復)であると考えられる。とすれば、「犯人はなぜ自身の尊厳を否定せざるをえなかったのか」「他者から承認を調達できなかったのか」という点が問題となるだろう。
犯人は勉強やスポーツでの成功体験があったようだが、それがうまく自己肯定感情につながらなかったのは、家族間コミュニケーションに問題があったからかもしれない。「いい子を演じていた」という内容の書き込みがあったらしいが、周囲の人間が「勉強やスポーツが出来る限りでその優秀さを認める」という、「条件付き承認」のコミュニケーションに傾きがちだったのではないか?
もちろんこれらは推測にとどまるが、「包括的承認」を得られない人間が、その後の「挫折」を通じて自己尊重の感情をすり減らしていき、どんどん内閉することでいっそう他者承認から見放されていく、という悪循環が存在したように推測される。
加えて、いったん孤独に陥った人間が、周囲からの人間的感情からますます疎外されていくような社会環境が、上記の悪循環に拍車をかけたのだろう。社会の個人化状況がそうだし、派遣労働の労働環境がそうだ。コミュニケーション弱者にとっての恋愛障壁の高さも大きな要因のひとつだったと思われる。よりマクロな構造的要因としては、都市と地方の情報環境格差も、考慮されて然るべき要因の一つかもしれない。