ドレフュス事件

ということで、ドレフュス事件(1894)のことを話さないと、話が終わらない。知識人がメディア上で論戦を戦わせた事件としても有名な、普仏戦争後フランスにおける、ユダヤ人大尉スパイ容疑をめぐるこの事件。「事件は神秘(ミスティク)によって生をあたえられ、政治(ポリティク)によって生をうばわれた」(シャルル・ペギー)と、結末ははなはだ茫漠としていたものの、Durkheimも地味に関与している。宮島『Durkeim社会理論の研究』(1977)(Durkheimに階級的視点が無い、なんて旧スタイルの発言は気になったが、好著)などを参考に、以下記述する。
Durkheimがユダヤ教のラビの家系に生まれついたことは周知の事実だが、ユダヤ人差別をめぐる事件にもかかわらず、彼は人種問題に関して、きわめて禁欲的な発言に終始した。この事件においてDurkheimが強調したこと。それは、近代フランスにおいて国民的連帯を実現していくためには、個人の尊厳、および自由が必要なのだ、ということ。もっというなら、社会の側の道徳的危機こそが、最大の問題なのである。後年の発言。

社会は、苦難のうちにあるとき、その悪を転嫁し、その苦い思いに復讐しうるような何者かを見いしたいという欲求をいだくものである。そして当然、すでになんらか世論の不興を買っている者にこの役割がふりあてられる。この贖罪の犠牲者とされる者、それは賤民なのだ。この解釈を私に裏づけてみせたのが、一八九四年のドレフュス裁判の結果であった。(263)

一次的に重要なのは差別問題ではなく、近代社会の病理である。では、「社会の苦難」とは何ぞや。
Durkheimがこの事件に際して、激しく反論を寄せたのは、ブルュヌティエールという文学者に対してであったらしい。ブリュヌティエールは、ドレフュス事件を引き起こした要因として、科学・疑似科学によって、独善的な個人主義を社会に引き起こさせた、知識人の活動を挙げる。国軍の存在の安定ならびに国民的統一が脅かされているのは、個人主義者を社会に蔓延させる、知識人なのだと。
Durkheimはこの種の発言に、反動的ななにものかを見る。個人の人格的尊厳は、社会の発展・分化のなかで必然的にもたらされたものであり、もはや後戻りは出来ない。それを否定したところで、もはや国民的統一はありえないのだ。もちろん、現在、国民の道徳的連帯を可能にする紐帯が脆弱なものになりつつあるのは事実である。それが、ブルュヌティエールのような反動的な主張を生み出させたのだろう。しかし、国民的統一をほんとうに果したいのであれば、社会的分化という趨勢に照らした、現実的な処方箋こそが求められる。個人の人格的尊厳を前提として構想される、処方箋こそが……。
Durkheimは、「社会が実現し保証すべき人格尊重の原理の前には、国家の一機関の名誉云々の問題などは二義的にすぎない」(宮島258)などと述べ、ドレフュスの再審を要求したために、ひどい攻撃を浴びせられることになったという。加えてかれは、反「反ユダヤ主義」の立場が明確であったわけでもなかったのだから、当時の言論状況のなかでは、ますます訳がわからない人物と映っただろう。でもこの訳の分からない社会学者は、なかなか立派であったといえる。かれは、社会秩序の再建・道徳性の再建について、安易な希望を語らず、あくまで人間の本性をみすえた、漸進的改良主義によって望もうとした。秩序は必要、道徳的規制もアノミー防止のため必要、でも旧来型の道徳主義は無効である。ここに、保守主義者の資質を見てとることも可能だろう。
そして、Durkheimが一貫して教育に関心を抱いていたのも、このような事情ゆえのことだった。以下は、宮島の引用。

ここに、かれが、反教権主義闘争を支持し、『道徳教育』の著者として非宗教的公教育の確立にその精力を傾注した理由があった。すなわち、ドレフュス再審の勝利をめざすことは、近代フランスの国民の真の統合の原理をあらためて確認することなのであり、それはまた、カトリシスムその他の旧道徳から国民を知的・道徳的に解放する教育の「世俗化」laicisationという課題と完全に符合するものであったといってよい。(264)

ちなみに、Durkheimはその後、ボルドーソルボンヌ大学の重鎮として、多大な影響力を持つにいたる。普仏戦争敗北後の第三共和制の重要課題には、教育問題があり、ルヌヴィエ主義者のフェリ(Durkheimも支持した人物)が文相になるに及んで、1882年には義務制・無宗教・無月謝を三大原則とする国民普通教育(1882)が制度化されることになった。Durkheimもその流れに加わり、その中枢に(諮問委員会など)入り込んでいく。そのようにして、近代社会にふさわしい世俗化された道徳性とは何かについて、考究を深めたのである。はたして、近代社会の道徳危機は、乗り越えられたのだろうか?