『社会主義およびサン・シモン』

サン-シモンというと、なんだか爽やかそうな語感とは別に、奇矯な振る舞いが有名。本人みずから、シャルルマーニュ大帝の生まれ変わりを僭称し、膨大な財産を食いつぶしてまで、研究にあけくれた逸話が伝わっている。宇宙を支配する根本原理を、万有引力の原理だと断言してみたり。
ところが、このサン-シモンについて、Durkheimが最大級に評価をあたえている。なぜだろうか。それは、サン-シモンが、大革命(フランス革命)以後の「社会的なるもの」の実質を、きわめて的確に把握していたからである。
例によって、ザックリいこう。Durkheimは一時期、社会主義の研究に没頭し、講義をおこなっていた。かれによると、社会主義とは、経済生活のあらゆる局面を、それを規制する中心的機関に結びつけようとする思潮のことである。それは、大革命付近をさかいに、ますます産業社会が拡大・浸透していくなかであらわれた。つまり、社会の近代化のなかから生まれた思潮であった。
Durkheimによれば、サン-シモンはそのような社会主義思潮のなかで、もっとも上質な思考を展開したのだった。ちなみにDurkheimは、社会主義共産主義を厳しく区別し、共産主義をしりぞける。それは共産主義が、社会的現実にかかわりなく、普遍的にすばらしい人間像・生活像を構想し、それへの回帰を説くからだ。だがもちろん、それは妄想でしかない。(Durkheimに言わせれば、プラトンもルソーも共産主義者。)産業社会の趨勢のなかでやるべきことはただ一つ、実現可能な社会像を打ち出すことなのである。サン-シモンが偉かったのは、そこだった。
サン-シモンは、産業組織こそ、政治・教育その他の社会政策を実行すべきだと説いた(日本だと、経団連か?)。人々は、否応なく産業社会化のなかに巻き込まれ、その一員となり、そこには旧来の静態的な秩序とは異なる、別種の秩序が生まれるようになる。そういった「社会的なるもの」の領域にたいし、実証的かつ理性的な知識によって制御を加えていくこと。これがサン-シモンの提出したプランである。
もっとも、その理性的な実証的知識のオオモトは、サン−シモンいわく、万有引力ということになる。また彼は、産業化の帰結として政府の地位低下を予言、インターナショナリズムを予想した。さらに、個人の自律性によってバラバラになってしまうことを怖れ、連帯の可能性を追求し、理性的宗教としての「新キリスト教」を提唱している。マルクス・エンゲルスならずとも、「空想的」と言いたくなるのは、仕方がない。
しかしDurkheimは、どこまでもフェアにシモンを評価する。Durkheimによると、シモンが宗教組織の議論に辿りついたのはまったく正当である。近代社会においてはまさに、個人間の連帯こそが課題となるからだ。周知のとおり、『分業論』で「有機的連帯」を唱えたDurkheimは、ここに明らかに規範的な含意を加えた。自律的な人格性の尊重のうえに、個々人がうるわしく連帯しあうという未来像。Durkheimが求めたのは、このイメージだった。
サン-シモンの誤りは、産業社会化を理想視するあまり、次のように考えたことである。Durkheimは述べる。

社会平和を実現する手段は、経済的欲求を一切の制約から解放することであり、他方ではそれらの経済的欲求をかなえることによって満足させることだ、と彼は考える。ところが、そのような企ては相矛盾する。なぜなら、かかる欲求は(部分的にかなえるために)制限されてはじめて満たされるものだからであり、また〔もともと止まるところをしらぬ〕欲求はそれ自身以外のものによってしか満たされないからである。(232)

おなじみのアノミー論のお出ましである。ここにいたってDurkheimは、中庸を説く。サン-シモンが革新主義なら、やっぱりDurkheimは体質的に保守主義者なのかと思う。さらに、そのような道徳的規制を可能にするものとして、彼は職業集団の必要性を壇上から呼びかける。訳書236ページから237ページを参照すると、けっこう感動的。