今村仁司「マルクス」

ちょっと小難しいことでも考えようかと思い、『現代思想の源流 マルクス ニーチェ フロイト フッサール』の「マルクス」の項を読む。執筆者は今村仁司
現代思想の源流 (現代思想の冒険者たちSelect)
90ページにも満たない小文だが、マルクス主義マルクス思想との関係性、「物象化論」(著者の言葉でいうと「無神論唯物論」)として見たマルクス思想の現代的可能性、マルクスが思想に内在させていた実践的可能性(プロレタリアートの扱い)、といったことがわかりやすくまとめられていて、記憶の整理に役立った。
物象化論(=無神論唯物論)とは何かをいうために、まずはマルクスが何を避けようとしたかを確認しよう。マルクスが避けたのは体系的思考・形而上学的思考である。初期マルクスヘーゲル左派(フォイエルバッハ?)を批判して、「観念」「神」のレベルではなく、「物質」「自然」のレベルで思想を展開していくべきことを唱えた。しかし、これは新たな形而上学を作り出したことにしかならなかった。「物質」「自然」を思考を進めていく際の根拠とする必然性はないからである。そこでマルクスは『ドイツ・イデオロギー』を転回点として、物象化論を展開していく。このことは、廣松渉なんかを読んでいれば周知のとおり。
史的唯物論をはじめとするマルクス主義は、このような体系性を志向した点において、マルクス思想の核心を捉えそこなっていた。また初期マルクスヘーゲル思想の影響を見て取り、主体的唯物論を展開したルカーチなどの思想も、最終的には体系性へと接近するものであった。それは、人間的本質が疎外経験を媒介に透明な主体を取り戻す、という物語を紡ぐものだったからである。
今村も述べるように、このような体系化がマルクスのフォロワーの間で進められたのは、マルクスの言明のなかに、そうした誤解を生む余地があったからである。しかしマルクスが実際におこなっていたのは、歴史的現実の内部において、否定的・批判的な視点を打ち出していくことにほかならなかった*1。今村はこれを「指差し」と用語化している。指差しは、哲学の領域において二つの側面をもつという。要約すると、①「神・主体・人間等々の大文字の根拠の体系構成力を攻撃し解体させることで、一切の形而上学的哲学の条件を封鎖し」、「そうすることですべての宗教的幻想を……追い払う」、②「あくまで批判すべき論敵の土俵のなかで自己主張」し、「そこを「戦場」と見立てて、相手の立場にこちらの立場を対置する」(42)。マルクスがやっていたことは、ずっとこの「指差し」だったのである。
マルクスのこうした体系性に対する違和感は、最初期の学位論文(デモクリトスエピクロスの話)のなかにすでにあらわれていた。マルクスエピクロスを評価するのだが、それはエピクロスが原子を単位とする秩序を考えるとき、そこに原子どうしの複雑な衝突による、新たな可能性の生起を見出すからである。エピクロスのこの考え方は、普遍性や秩序に楔を打ち込んでいくマルクス思想の出発点であったといえる。
そもそも、形而上学イデオロギーに基づく社会分析は、<起源と目的>を伴った物語性に回収されてしまう。実際には、物語に還元されない混沌とした秩序性こそが、「社会的なるもの」の本質なのである。とはいえ、物語性を完全に回避したまま、科学的認識を維持することは難しい。これがマルクスが直面した問題だった(システム論と完全に同一の問題である)。その意味で、マルクスが『資本論』を、俗流経済学および古典派経済学の「批判」として書いたのは、きわめて示唆的である。科学的認識について、その科学性を前提させるイデオロギー性に敏感であるべきことは言うまでもない。しかし、そのうえでなお科学性を追求していく可能性があるとしたら、「物質」の世界にもとづいて(=唯物論)、イデオロギー批判を継続させていくという営為によるほかないのではないか。物語を、物語を相対化する視点を併せ持ちつつ、批判的に紡いでいく、とでも言うべきか(この可能性を推し進めると、おそらく、ベンヤミンの「歴史的唯物論」に行き着く)。

社会的・歴史的世界とはイデオロギー的世界であり、したがって社会と歴史の科学的理論は、イデオロギーの科学的理論を、たとえおおざっぱにではあれ、作り上げて、それとの認識論的差異を明示し、どこに行ってはならないかをはっきりさせてかからなくてはならなかった。この意味で、イデオロギー批判がそのまま科学的認識になる。そしてイデオロギー批判を要求するのが、この世界が神話的に転倒していることをたえず気づかせる無神論唯物論である。ここに、唯物論イデオロギー批判、科学的認識のマルクスにおける三位一体が生まれた。人間的世界に関する「科学的知」について、マルクスが提出した重要な提言であり、それは今もなお生きている。(59)

ここからも分かるように、マルクスは、近代的イデオロギーに基づく「科学的認識」のパラダイムから飛び出して、思考していた。それゆえ、彼が政治家のようにも、アジテーターのようにも、学者のようにも見えたというのは、ある意味でもっともなことだった。マルクスは、歴史の具体的現実のなかから、新しい秩序の方向性を見出していこうとする人だったのだ。
私は以前、マルクスの政治的発言はえらく適当で、その場の(政治的嗅覚に基づいた)思いつきのように感じたものだったが、それは「近代における客観的な科学的判断」とは違う地点から発せられた言葉である以上は当然のことであり、まっとうなことでさえあったといえるだろう。そう考えると、「プロレタリアート」などの意義付けも面白いと思う。そしてやっぱり「マルチチュード」の「あの二人」は、かなり正当なマルクス思想家だったんだな、とわかる気がする。長くなったのでもうやめるが。

*1:なぜ体系的思考はダメか。それは、後段でも説明しているとおり、科学的思考自体が社会的な価値意識に「汚染」されているからだ。それが体系性を志向したとたん、容易にイデオロギーとなってしまう。この危険をどのように避けるかが問題なのだ。