稲垣浩『手をつなぐ子等』(1948)

(86分・35mm・白黒)時代劇に名声を確立した稲垣は、一方で子どもたちの世界を愛情深く描いた一連の秀作を残した。伊丹万作の遺稿を採り上げた本作は、一人の障害児教育の現場を扱ったもので、いじめの問題も生々しく描かれる一方、結末の相撲大会のシーンは爽やかな印象を残す。
’48(大映京都)(原)田村一二(脚)伊丹万作(撮)宮川一夫(美)角井平吉(音)大木正夫(出)笠智衆、初山たかし、香川良介、杉村春子、徳川夢聲、泉田行夫、村田宏壽、島村イツマ、宮田二郎、常盤操子、伊達三郎、葉山富之輔、牧龍介、小田切ふみ子

「手をつなぐ子等」。「無法松の一生」に感心したので、稲垣浩監督「手をつなぐ子等」(昭和23年)を見に行く。フィルムセンター7時から。
一種の教育映画。中西寛太という知的障害の生徒と、転校してすぐにガキ大将になった山田金三(あだ名が山金)という生徒が、軽いイジメのような関係がありつつも、最後にはすっかり仲良くなるという内容。先生役が笠智衆、寛太の母親役が杉村春子。すごく若い。撮影は宮川一夫。父親が寛太の様子を心配して学校に来る場面のカットのつながりが良かった。
時代が時代ということもあるが、生徒の自発的な活動のなかから、公共心や思いやりの気持ちが芽生えてくるというテーマが描かれている。笠智衆先生も「魂の技師」といった感じ。生徒の微妙な心の動きに配慮しつつ、自然なかたちで子供の善良な心を引き出すことに腐心している。演技もはまっていた(最後に仰げば尊しが流れていたが、あれはやはり名曲だ)。
しかし、説教臭さはそれほどない。ユーモアもあるし(寛太の演技が素朴なおトボケ感が出ていててよかった)、自然と心が踊るようなシーン(相撲大会の場面とか)もある。とても面白かった。たぶん、子供の目線で出来事を描いているからではないか。これが先生の視点で描かれたとすれば、うっとうしいだろうと思う。
もちろん、映画それ自体の面白さを離れれば、色々と疑問は湧いてくる。あの先生の雰囲気(厳格/聖職者)とか、障害者に対する考え方とか。先生は、本当にインテリ風で、なぜあんな風だったのかが不思議だ。また「障害者も工夫しだいで社会の役に立つことができる」といった考えが垣間見られたが、これはあの当時の時代状況のなかでは、どんな風に受け入れられていたのだろうか。
まあ、そういう野暮な疑問はやめとこう。今日の映画も、いつも名画座で見ている最近の映画と比べて、はるかに上の水準だった。やはり、古い映画だと登場人物とか場面設定に容易に共感できる。たとえば「貧困のなかで友情が成立する」とかいうテーマだと、すごく分かりやすいうえに、普遍性もあるんだな。こういう設定が、今の映画だと難しいんだなと思った。