ラ・トゥール

seiwa2005-04-23

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を国立西洋美術館に観に行く。あまりに素晴らしくて、絵画展でこれほど満足したのも稀なほどだった。ラ・トゥールという作家は知らなかったのだが、カラヴァッジオの作風に良く似た感じで、すぐに見てみたいと思った。闇のなかに浮かび上がる光の効果が絶妙である。『西洋美術史』(美術出版社)には、次のような説明がある。

17世紀初頭には、カラヴァッジオの芸術はフランス美術にも強い影響を与えた。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの〔大工の聖ヨセフ〕は、幼いイエスと養父ヨセフを17世紀の庶民の姿で表わしながら、深い闇に輝く光によって、聖なるものの現前を暗示している。カラヴァッジオの作品では光源は常に画面の外にあったのに対して、ラ・トゥールは画中に蝋燭などの人工光を導入し、かえって夜の闇の濃さを観者にいっそう強く意識させる。また、人体は丸みを帯びた単純な形態に還元される傾向があり、明暗の対比がその量感を強調する。(111)

ラ・トゥールは1593年生まれ、1652年にペストで病死したとも伝えられる。財政的に恵まれていたロレーヌ地方でかなり順調に活動していたらしいが、1618年に始まった三十年戦争などの影響もあり、ヨーロッパの歴史的混乱期の影響をまともに受けたようだ。名画とされる『いかさま師』においても顕著なように、彼の徹底したリアリズムの描写は、人間の内部に潜む悪を冷徹に見つめていて、そのことはまた宗教画においても同様である。
聞いた話によると、宗教戦争という悲惨な事態は、「人間の本性」への省察を生んだという。現実に生きている人間を超えた価値を尺度とするかぎりは、人と人が争うことは避けられない。もちろん宗教の普遍性に対する懐疑という契機もあったと考えられるが、人間の理性の内実を見つめなおし、それを基盤に世界を捉えていくということが、この時期以降の、合理主義的哲学の出発点とされていくのである(スコットランド道徳哲学)。実際、ラ・トゥールの描写からは、超越的な諸価値が調和に至るといった古典主義的なイメージは、まるでうかがわれない。個人的には、『否認するペテロ』でのペテロの表情が忘れられないが、人間が倫理に背く瞬間を、ラ・トゥールはそのままの姿で、抉るようにまなざしている。
しかし、そうしたなかでもなお、「聖なるもの」が希求されていることも切実に感受される。そのことを端的に象徴するのが、引用文にもあるとおり、闇と光のコントラストである。暗いなかで蝋燭の灯火を見つめていると、ふぅっと眩暈のような気分に襲われることがあると思うが、そういう感覚的な「ここではないどこか」のイメージが、彼の絵画のなかでは救済(=聖性)のイメージに連続している。そういう「世俗のなかの救済」が、私にはとても美しく思われたのだった。