日中問題

今日は、お手軽に時事ネタ。日中首脳会談が行なわれたらしく、メディアでは「両国の友好関係を確認した」というようなまとめがされているが、どうも違和感が残る。
ここで考えるべきことは、(1)反日デモがいったい何を意味しているのか、(2)中国政府にとって日本問題とは何か、(3)日本の対中政策はどのようであるべきか、といったことだろう。
まず(1)について。私の印象では、反日デモの社会的インパクトをそれほど大きく見積もる必要はない。そもそも扇動者が誰だったかについて政治的疑念がかなり残っているし、規模にしてもそれほど大きくはない。また、天安門事件を暴圧した中国政府が、この程度の騒動を止められないはずはなく、そうであるなら私たちは、(国際問題あるいは国内問題としてこのデモを「利用」しようとしている)中国政府の政治的動機についてこそ、敏感であるべきだろう。たとえば、デモについての国内向け報道には、中国政府による明らかな操作の跡がうかがえる。日中の歴史問題といった本質的な問題は、ここでは二次的な重みしかない。
では(2)はどうか。反日デモが生じた原因の詳細は知らないが、日本海の海底油田問題などをめぐっても、現在、日中関係は急速に険悪化している。そして中国政府のこれまでの対応から考えると、反日デモ騒動を利用し、日本にたいする政治的優位を得ようとの外交戦略は明らかなように思われる。今度の会談でも、胡錦涛国家主席は、反日デモを「遺憾」としつつ、このような事態が生じた背景には日本側にも問題がある、などと発言をしているようである。すなわち、中国政府にとって、歴史問題などは表面上の建前でしかなく、反日デモは本質的に外交カードとしての意味をもっていると考えるべきなのである。
また、外交戦術という狙い以外に、国内統治上の政治的効果も意識されているだろう。このことは、中国の経済事情との関連で考えなければならない。中国政府は今年から、行き過ぎた経済過熱を抑制する方向に政策をシフトさせることを公言しているが、そうした政策的方向づけは、貧富の格差にたいする社会的不満をいっそう蓄積させることになると予想される。そもそも、政府の正統的イデオロギーと資本主義イデオロギーは相容れないものであり、不安定な両立を強いられているが、そこに加えて景気上昇が緩やかになるとすれば、拡大しつつある貧困層の不満は、一気に表面化しかねないだろう。このような懸念を背景に、中国政府は民衆の不満を昇華させるべく、反日感情を煽っているのではないだろうか。そして、もともと中国は抗日運動をナショナリズムの出発点としているのだから、このような形での統治技術は、ある程度の効果を十分に見込みうるだろうとも推測できる(江沢民以来の反日教育との相乗効果もある)。
(3)の問題は、どうだろうか。小泉首相によると、今回の首脳会談の意義は、「日中友好の確認」であるという。だが本質的に重要なことは、そうした政治的振る舞いが持つ「戦略的意味」に他ならない。いわば中国は、反日デモを政治的カードとして利用しているわけだから、それに対して、日本はどのような政治的対抗をなしうるのか、ということを考えなくてはならない。
難しいところだが、個人的には、さしあたって中国に、「謝罪」と「対応」を求めてもよいのではないかという気がする。潜水艦領海侵犯の問題でも気になったことだが、中国が「遺憾」という場合、それは決して「謝罪」ということを意味しない。この言葉の使い分けにはセンシティブであるべきだが、中国側はおそらく「謝罪」してしまうと、国内統治上の利益を失うことになるのである。この点は中国のいわば「弱点」であり、日本側の政治的交渉の材料となしうるポイントであると考えるべきだ。もちろん「障らぬ神に祟りなし」というやり方もあるとは思うが、本来、国内暴動という事態が政府として体面を失う出来事である以上、「それはやっぱり恥ずかしいことではないか」という異議申し立てが可能であると自覚するべきだろう。しかし今は逆に、「日本よ、おまえにも暴動を引き起こさせた原因がある」と言われてしまっているのが現状である。少なくとも、こういうかたちで政治的交渉のフリーハンドを失っていくべきではないのは当然だろう。本来であれば「失態」であるはずの事実を、「政治的カード」とさせてしまっているのだから、これは明らかにやられすぎである。
これまで述べてきたことのほかにも、日中の歴史問題(靖国問題とか)を本質的にどのように考えるか、という問題が残っているが、これについては、今回は述べない。ただ一言だけ言わせてもらうと、中国に対して日本側からのメッセージをもっと伝達していくことが重要であると私は思っている。たとえば、日本は「侵略戦争」を反省し、戦後において、言論の自由を認める民主主義社会を建設してきたが、現在の中国では、言論の自由は認められてはいない(今朝の朝日で橋爪先生が述べていたとおり)。このような正しいことを臆せず主張していくことも、たまには必要なのではないだろうか。竹島問題でもそうだが、日本政府の外交姿勢が基本的に「事なかれ主義」なのがとても気になる。私は保守主義者なので、「事なかれ主義」、あるいは、むやみやたらに現実を荒立てないことには賛成なのだが、「自分が何者であるのかを提示する」というコミュニケーションの基本はふまえるべきだと思う。