『チェーホフ』

浦雅春チェーホフ』(岩波新書)。やはり好著だった。
著者は、チェーホフ(1860−1904)の作家像について、次のように語る。

……実は、「愛すべき作家」という相貌の陰には、入念に被いをかけられた「非情さ」が隠されていた。清澄で叙情的と見られる文体の背後には、意味の連関を失った「無意味」という不気味な深遠がぱっくり口を開けている。芝居のなかでかみ合うべき科白は、向かうべき相手に届かずむなしく空中を浮遊する。(鄽)

しかし、このようなチェーホフの作家性は、ロシアの伝統的な「文学」認識と、するどく対立するものだった。

ロシアにおいては「文学」は格別な位置を占めた。おそらくこれはヨーロッパのどの国にも見られない現象だろう。中世の年代記作者のネストルが、書物を啓示と救済の聖なる源と規定して以来、ロシアにおいて文学はつねにその精神性の高さを誇ってきた。十八世紀啓蒙期の作家ノヴォコフやラジーシチェフにしても、文学は道徳的、精神的涵養の手段であった。(101)

チェーホフが、「無意味」という「不気味な深遠」というモチーフを作品に反映させるようになったのは、兄ニコライの死をきっかけとしていた。ニコライの葬儀でも、チェーホフは涙を見せることをせず、長兄から非難の目を向けられたというが、著者はこのエピソードについて、次のように推理している。

ひょっとして彼は泣くことができなかったのではないか。チェーホフと「非情」。チェーホフは感情に溺れ、感情をおもてに出すことを極度におそれただけではない。そうした感情をすら持ち得なかったのではないか。(78)

たとえば、『ヴェーロチカ』という作品。若く美しい娘ヴェーラから愛を告白された主人公オグニョフの心理について、チェーホフはこう描写する。

オグニョフの心のなかではなんだかよからぬ妙なことが起きていた……。恋を打ち明けるヴェーラは妖しいまでに美しく、その話しっぷりは優雅で情熱的だったが、彼が味わったのは望んでいたような陶酔でも、生の歓びでもなく、ヴェーラにたいする同情の念と、自分のために立派な人間が苦しんでいるという痛みであり憐憫の情だけだった。(80)

では、チェーホフが望みえた希望とは、どのようなものだったのだろうか。1900年、チェーホフ40歳のときに執筆された『三人姉妹』の最後の科白は、それを考えるうえで示唆に富んでいる。

楽隊は、あんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少したったら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、分かるような気がする。……それが分かったら、分かったらね!(200)

私は18歳のときに、劇場でこの科白を聞いたけれど、当時はなんのことかまったく分からなかった。しかし、今なら、分からないでもない。この科白に含まれている「音」のイメージに注目しつつ、著者はこう語っている。

無意味に解体した世界を前に、チェーホフに唯一残された道は、恒常不変の自然の営みにみずからを位置づけることでしかなかった。そこから新しく世界を定義しなおし、新たな意味をくみ取る――そのきっかけがおそらく「音」であったにちがいない。(199)

ここで脈絡なく思い出されるのは、岡倉天心と母親との狂った色情をまのあたりにして育ち、自然を「恒常不変」の「営み」として――つまり「いきの構造」として――とらえた、九鬼周造のことである。だが、九鬼の場合、そこになお「意味」を希求する「祈り」の態度はうかがえない。ここではむしろ、「自然」そして「事物」そのものに「神」を見た、スピノザのことを想起すべきなのかもしれない*1

チェーホフ (岩波新書)

チェーホフ (岩波新書)

*1:同時に、オルテガについても思い出しておくべきだ。4月4日の日記を参照すべし。「明晰な頭脳の人間は、……生の現実を直視し、生のすべてが問題であることを認め、自分が迷える者であることを自覚するのである。これこそ真理なのであるから――つまり、生きるということは自己が迷える者であることを自覚することなのであるから――その真理を認めた者はすでに自己を見出し始めているのであり、自己の真実を発見し始めているのである。(『大衆の反逆』224−225)」