読書メモとチェーホフのギャグ

今日いずれも7割くらい読み進めた本。

どちらも、歴史・思想系の読み物としては、最高品質だと思う。
山内を読んで思ったこと。島津久光は結局偉かったんだろうか?西郷隆盛は、久光の嫉妬によって遠島の刑に処せられたから、スケールの大きい思想を育てることができたのではないか?江藤淳の『南洲残影』を読まないと、西南戦争は理解できそうになさそう。石原莞爾は偉かった。東条英機がのさばらなかったら、対米戦争も避けられたはずだ。そもそも、相沢事件で永田鉄山が殺されてしまったことが、まずかった。石原と東条の反目が進み、東条の人事政策により、陸軍の国際戦略の欠如が露呈することになってしまった。天才のエネルギーを組織に活用するための柔軟性が、やっぱり大切なんだな。
チェーホフ』を読んで思ったこと。そういや、「三人姉妹」という演劇を見たことがあった。1860年生まれのチェーホフは、ドストエフスキーだのツルゲーネフだのトルストイだの、大作家の活躍がおわった時代に、作家としての声望を高めることになったが、そうした「大きな物語」の失墜のなかで生きることを求められていた。そこで重要なのが、ロシアの文芸が伝統的に「真理」へと通じるものとして(=「文学中心主義」)認識されていたことで、チェーホフは、「希望の哲学」や「真理」の代わりに、「意味の不在」とそれにともなう「逆説」を作品の中核的なモチーフとしていくことになった。この本は、まちがいなく良い本だ。チェーホフの「発想メモ」のなかで、次の話が気に入った。

彼女の顔には皮膚が足りなかった。眼をあくには口を閉じなければならぬ。およびその逆。(137)

リアルに想像してみてください。