向田邦子と幸田文

seiwa2005-04-30

ゴールデンウィーク。といってもやることは色々とあるはずだが、気がゆるんで、現実逃避的に雑読をしてしまう。最近、寝入り前にちょびちょび読んでいる本。

向田邦子は『父の詫び状』(文春文庫)『男どき女どき』(新潮文庫)など、ほかにも結構読んでいるのだが、私はこの人のことがほんとうに好きだ。向田和子『向田邦子の青春』(文春文庫)という妹の書いたフォトエッセイがあって、それを読んでからというもの、人柄・文章力にぞっこん惚れ込んでしまっている。彼女の文章には、奔放さと、意志力と、身辺の出来事への細やかな配慮とが、両立して存在する。いろいろの機微を読みとりながら、自分の生き方を貫いていくその姿勢には感心するし、けっして抽象的ではないかたちでの「倫理」が息づいていると思う。清々しい。ああ生きられたらなぁ、と思わせるものがある。
同じように、内省の働かせかたということでいうなら、幸田文『みそっかす』(1951)も味わい深い。幼少期の叙述が中心になっているのだが、期待を一身に受けながらも早世した姉、生母の死、父・継母との関係などをめぐり、心理描写は癇症をうかがわせるほどに細かく、行き届いたもの――したがって「残酷」なもの――となっている。「柳川さん」の章がとくに好きだ。貧しく、汚らしい身なりの「柳川さん」は、幸田文に貧富というものの絶対的な差を思い知らせることになるのだが、学校の教室をめぐって展開されるそのエピソードは、あまりに痛切で、ちょっとした悲哀をさそう。向田邦子の場合、研ぎすまされた自意識は、しつけに厳しかった家庭環境からきていると思うが、幸田文の場合、冷徹なまでの観察眼は、複雑な家庭事情から生まれてきたものであるようだ。