おれの頭はよくはないが、つよい頭だ

昨晩は、SHOU氏とHIROUMIX氏と渋谷で食事。HIROUMIX氏の大阪での奮闘振りについて話を聞く。当方から言うべき事は意外に無い。殆ど此処で書いてしまっているからだ。只、此処では書けない事、書けない理由などについて近況を交えつつ話した。またSHOU氏は相変わらず自分の話はしたがらない。だが無理に話させると疲れるだろうし良くない。仕事に差し障りも出るし、其れは命にも関わる。
さて今日電車に乗っている途中、急に中野重治の言葉を思い出した。題名の通り「おれの頭はよくないが、つよい頭だ」というものだ。これは横光利一が私信の中で「いまの文壇でもつとも頭がわるいのは中野重治氏である」と書いたのに対して、中野が自身の作品中、主人公に語らせた言葉である。帰宅後、桶谷秀昭『昭和精神史』(文春文庫)で調べてみると、其の時代背景は次のような事であるらしい。

モダニズムの思潮には、機敏な計算にもとづく功利主義がつきまとつてゐる。それは現実生活の上の利害打算となつて露骨にあらはれることもあれば、心理上の駈けひきとして抜けめなく相手につけこみ、自分の優越を確保するという目的に奉仕することもある。(183)

いずれにせよ、その目的を達成するためには速度が必要で、行動における機敏さ、頭脳回転の速さが大事な要因になる。頭がいいとかわるいとかいふ言葉は、昭和になつて流行するやうになつた表現の一つであるらしい。その場合の頭のいい、わるいは、頭脳回転の速さを、暗黙のうちに意味してゐた。(184)

そういう背景があっての「新感覚派横光利一中野重治との応酬であった訳だ。桶谷氏はこれについて更に大きな知的情況の中に置き直しながら、次のように言う。

頭脳の回転の速さは個人差の問題である。しかし、それは世代間の問題でもあつた。たとへば、『昭和初年のインテリ作家』の作者廣津和郎の世代と横光利一川端康成、さらに若い世代の伊藤整たちのあひだには、個人差を越えた世代間の頭脳回転の速度のちがひといつたものがある。(185)

しかしそれは能力や素質の問題ではなく、信念体系とそれにともなふ情操の質のちがひであらう。頭脳回転が速いといふ意味での頭のよさなどが、すこしも知的虚栄心の対象たりえないやうな世代の人間にとつて、頭がいいなどといふことはほとんど問題にならないのである。ものごとの処理が機敏につくなどといふ能力は彼らにとつて何事でもなかつた。それは大正期のインテリゲンチャ文士の一般的気風であつた。(185)

結局どういう事かというと、以前に書いた分類で言えば「引きこもり系」と「自分探し系」という事である。やや分かり易過ぎる感はあるものの、「引きこもり系」が大手を振っていた大正期インテリゲンチャの雰囲気と、あくまで軽い「自分探し系」の昭和期モダニズムとを対照させる事は、時代の特徴を把握する上で極めて興味深く、示唆に富む。

彼らは朝から晩まで、人生とか芸術について、はじめもなく終りもないやうな仕方で、毎日、おなじことを際限もなく考へてゐた。目的もなく、到達地点など考慮の外にある考へに耽溺してゐる文士たちを、広津和郎は右の小説の中で、「アイドル・シンカー」と呼んでゐる。(185−186)

桶谷氏は中野重治の転向問題について、彼の「つよい頭」がどのように思想的に格闘したのかを論じるのだが、中野の父親との心理的な軋轢の話などは非常に知的関心をそそる。なお本書の他の部分を見ていると、以前「大川周明」の所で書いた丸山眞男批判がほぼ同様の論旨で出ていることに気づいた。これについては(すでに予告済の)橋川文三についての議論と合わせ、他日紹介する事にする。