データいじり

  • 従属変数「高い学歴は収入面に恵まれる」×独立変数「世帯収入のレベル」

緩やかだが、「世帯収入が低い」ほど「高い学歴は収入に恵まれる」と回答する率が高くなる。また「世帯収入が高い」ほど「学歴によって収入は左右されない」と考える率が高くなる。すなわち、世帯収入の低い人は、自分が収入が低いことを「学歴の無さ」によって説明する傾向があると言える。自分の収入が高い人は、「収入の多寡を決定しているのは学歴ではなく、本人の努力や実力だ」と考える傾向がある。
この場合、二通りのケースについて考えなくてはならないだろう。現実に、学歴が収入の高さに結びついている可能性と、そうではない可能性である。現実に、学歴が収入の多寡と関係している場合、ここからは「成功者の論理」の意識作用が読み取れる。高収入者は、自分が高学歴によって恩恵を得ているにもかかわらず、「自分の成功は自分の実力によって獲得したものだ」という物語を生きる。逆に、現実に学歴と収入の多寡が関係しない場合、「失敗者の僻み」の意識作用を読み取ることが可能だ。低収入者は、「学歴が無いから自分の収入は低いのだ」と自分の納得しやすい物語を生きていることになる。もちろん、そこまで強い仮説を提示できるほどの有意差があるかどうかは、きわめて微妙であるが…。

  • 従属変数「学歴は親の教育方針による」×独立変数「階層帰属意識(5段階)」

階層帰属意識が「上」「中の上」の人だと、54%くらいが「学歴は親の教育方針による」と回答する。一方、「中の下」以下だと40%くらいにとどまり、「親の教育方針によって決まるのではない」と考える人の方が多いことがわかる。
すなわち、上層は、子どもの教育に対するパターナリスティックな介入を好むのに対し、下層はそれを好まない。もしかすると下層の意識には、「学歴は本人の生得的な能力によって決定される」(=「氏より生まれ」)という決定論的思考があるのかもしれない。

  • 従属変数「学歴は本人の実力による」×独立変数「高校:進学率」

この「高校:進学率」というの質問項目は面白い。「あなたの高校では、どのくらいの割合の人が大学・短大に進学しましたか」に対して、「ほとんど全員」「7〜8割程度」「半数くらい」「2〜3割程度」「ほとんどいない」と回答させるようになっている。「大衆教育社会がどの時点で成立したのか」という問題に依存するのだが、大方、その人の学歴の程度を示す指標として考えてよいのではないかと思う(一応)。
このクロス表では、「高校:進学率」にかかわらず「学歴は本人の実力による」と回答する人が70%を超える。つまり、自分の学歴とは関係なく、学歴は実力次第で決まる、平等に開かれている、と考える人が大部分であることが分かる。(では、このような公平的な競争原理が、社会的選抜の原理となることについては、どのように考えるのだろうか、と疑問が生じてくる。)それをふまえて、次のクロス表に注目するとさらに面白い。

  • 従属変数「学歴は親の教育方針による」×独立変数「高校:進学率」

「高校:進学率」が低い層では、4割程度しか「親の教育方針によって決まる」と思わないのに対して、進学率が高い層では5割程度がそう思うと回答している。階層帰属意識とのクロスとも連動するが、やはり学歴の高い人ほど、親の教育方針の重要性を認識し、逆に学歴の低い人ほど、本人の実力によって決まると考える傾向があるといえそうだ。
以上のことから、ひとつ前のクロス表と合わせ、次のような仮説を導くことが出来る。
本人学歴の低い人は、学歴は個人の実力によって決まるとの考え方を一貫させている。しかし、本人学歴の高い人は、「学歴は本人の実力による」と答える一方、「学歴は親の教育方針によって決まる」との考えも並存させる傾向がある。つまり、ダブルスタンダードな教育意識を持っているのである。その背景にどのようなロジックがあるかを考えると興味深いが、明らかに難しい問題なので、ここでは深追いしないでおこう。とりあえず、次のクロス表を見てちょうだい。

  • 従属変数「子どもには、できるだけ高い学歴を」×独立変数「高校:進学率」

高校進学率が「ほとんど全員」「7〜8割程度」の層では、56%程度がそう思っているようである。それ以下の層では、50%付近にとどまる。
ここに有意味な差を見出すとすれば、低学歴層の教育観がかなり明らかになってくる。低学歴層は、学歴の意義をそれほど重要視しない。「子どもには、できるだけ高い学歴を」つける必要はないのである。そのうえで、「学歴は本人の実力による」のであり、「学歴は親の教育方針によっては決まらない」と考える。つまり、「学歴は本人の生得的な能力によって決定される」という決定論的思考がベースとなっているのである。
そしてこれと対照させると、高学歴層の教育観がより複雑なものであることはいっそう明らかになる。この複雑さの説明には、もっと他のデータが揃わないといけないし、精緻な理論的仮説を用意しなければならない。なので、今日はこれで終わり。