カスパル・ダーヴィド・フリードリッヒを見て考えた

seiwa2005-06-08

東京国立博物館で開催中の『ベルリンの至宝展』に行ってきた。以前から行きたいと思っていたのだけれど、なかなか機会が持てなかった。いよいよ今週末に会期終了が迫ってきたので、今日、出かけることを決心した。有名どころでは、マネ「温室にて」(1878−1879年頃)*1ラファエロ「聖母子」(1508年頃)*2レンブラント「天使と格闘するヤコブ」(1660年頃)*3などがあったが、個人的には、カスパル・ダーヴィド・フリードリッヒ(1774−1840)の作品*4を鑑賞のメインに据えることに決めていた。
フリードリッヒは、ドイツ・ロマン主義の重要な画家である。フランス革命からフランス第二共和制(1848−1852)にいたるまでの絵画の流れは、新古典主義ロマン主義写実主義の順に展開するが、フランス革命に影響を受けた理知的な新古典主義の揺り戻しとして、ロマン主義は、ナポレオン侵略後の各国のナショナリズムをつよく反映するかたちで絵画様式を発達させた。理知的で普遍的な汎ヨーロッパ的形式ではなく、それぞれの国の特性を表現しようという意図が、ロマン主義を生んだのである。ちなみに、平凡社ライブラリーハイデガー講義『ニーチェ』は上下二巻とも、装丁がフリードリッヒの絵画になっており、上巻は「雲海を見下ろす旅人」、下巻は「樫の森の修道院」。きわめてスタイリッシュかつ素敵な装丁になっている。
とはいえ一方で、フリードリッヒの絵が「スタイリッシュ」だとか「素敵」だとかいうのは、本当は少し警戒すべきことなのかもしれない、と私はときどき思うことがある。なぜなら、フリードリッヒのロマン主義絵画は、ある面からすると、「ほとんどマンガ」のようにも見えるからである。たとえば、彼の絵の主題としては、しばしば崖や山脈が描かれる。また、広がる海や草原や森などは、多くの場合、明るく光の当たっている場所と暗い部分とに対照されて、描かれる。言うまでもなく、ここに表象されていることは、われわれの人生そのものであるだろう。われわれは、崖や山脈に、人生において乗り越えるべき苦難の物語を読み取り、同時に、明と暗との対比や、どこまでも広がる雲海・野原のなかに、救済の兆しを見出すのである。
しかし、こうした構図はあまりにもナイーブすぎるのではないだろうか。私は彼の絵に魅力を感じるけれど、同じぶんだけ、警戒心も抱かずにいられない。述べたように、ロマン主義は、理知的な新古典主義の反動という側面を持っている。さらに、政治的後進国であったドイツにおいては、精神的な領域を見出すことによって、現実の超克をめざす思潮も優勢であったと思われる。「ドイツの大自然のなかでこそ育まれる、現実を乗り越えるための高い精神性」――こうした物語性は、フリードリッヒの絵画からつよくうかがえる物語性ではあるが、ロマン主義が市民層の拡大・浸透のなかで出現したことを考えても、一種の禍禍しさを私に印象づけずにはおかない。もちろん、そうした禍禍しさが同時に、魅力の最大の源泉となっていることは言うまでもないが。
無知な私の妄想ばかりだといけないので、以下に解説文を引いておきたい。

……(ドイツロマンはの美術は大きく二つの流れに分けることができる。)第一の流れはエルベ河畔の町ドレスデンにおける風景画の発展である。カスパル・ダーヴィト・フリードリヒは1790年代の終わりにこの町に来て生涯をここで過ごし、宗教的象徴的意味を担った観念性の強い風景画を製作した。彼の描く広大な風景は世界そのものを暗示し、鑑賞者に背を向けて風景に向かい合う人物は人生の苦悩に立ち向かう人間を示している。断崖は死の、遠くに開けた眺望は形而上的な救済の象徴である。航行する帆船は人生の旅路に乗り出している人間であり、難破船は挫折を意味する。彼の風景画は隅々にいたるまで人間の生の根本的な問題を巡って構想されており、時には文学性と哲学性の過剰を感じさせるほどであるが、一度目にすれば忘れることのできないその視覚的印象の強烈さが実は鋭い観察力と描写力によって生じていることも忘れてはならない。……主観の投影としての自然という彼らの思想は純粋にロマン主義的な風景画観を示すものである。(『西洋美術史』135)

この引用をふまえて、「ほとんどマンガ」といった意味合いについて、もう少し補足しておくことにする。フリードリッヒは、とことん彼ら自身の「主観」を描くのだが、このような「主観」という素材は、宗教的モチーフが中心のそれまでの絵画史のなかでは、けっこう特異なことではなかっただろうか?つまり、芸術が、神が創出するコスモスについて表現する時代が終了し、そうしたコスモスの地盤沈下のあと、個人の主観・感情を主たる素材とする「芸術」が新生したのだ、とフリードリッヒの絵から考えることができるのではないか?もちろん、ルネッサンス芸術もそういうものだと理解することもできるのだが、ここで言いたいのは、そういうことではない。ルネッサンスの場合には、個人が発見されたと言っても、それはやはり大いなる真・善・美に奉仕する個人であり、みずからの人生をみずからの意思によって決定し、物語化していくような、近代的・大衆的個人ではなかった。個人のちまちました生活と連続線上におくことのできる、苦難や救済のイメージ――こうした新しいイメージが語られる必要があり、実際に語られることを大衆たちも欲望したのである。このように考えると、フリードリッヒの分かりやすい「枯木」、「明暗」の表象は、大衆的陳腐さへと陥りやすい美であり、大衆的な消費の対象となりかねない「マンガ」的性質を帯びていたと見なすことができるだろう。もちろんこのことは、先に言及した「ナイーブさ」「禍禍しさ」とも通底する特質であるにちがいない。
ちょっと今日は、勝手な妄想に走ってしまった。付加しておくと、この展覧会は、エジプトコーナーや西アジアコーナーなどもあって、きわめて雑多、というか、博物館におけるナショナリズムを嫌というほど感じることが出来る、イロイロと面白い展示である。

*1:「マネが51歳で没する数年前の傑作で、彼の親しい友人とその夫人が描かれている。マネとしては大型の画面に画家のダンディスムが漂う。フランスに対する敵対心が強い軍国主義真っ盛りのドイツで、1896年にベルリン博物館が購入した。現在、ベルリンの旧国立美術館の絵画コレクション中の逸品のひとつとなっている。」

*2:「ベルリンの絵画館が所蔵する5点のラファエロ作品のうち制作年の新しい逸品で、ラファエロフィレンツェ滞在中に描かれた。読書していたマリアが自分に甘えるキリストを優しく見つめるところを描いている。ここに流れる親子の情愛は、中世の威厳を強調した聖母子像とは対照的である。」

*3:ヘブライユダヤ)の族長ヤコブが旅の途中でひとり野宿している時、どこからともなく現れた正体不明の者と格闘し、打ち負かした物語を主題にしている(旧約聖書「創世記」《第32章》)。正体不明の者は実は神から遣わされた天使だった。この格闘はキリスト教信仰のこの世における苦闘の象徴とも考えられている。レンブラントのこの作品では、天使による祝福をも表現している。」

*4:「フリードリヒは作品が北ドイツの美術館に集中していることもあり、さほど知名度が高くなかったが、現在ではイギリスのターナー、コンスタブル、フランスのドラクロワに並ぶドイツロマン主義絵画の巨匠として広く知られている。ほとんど風景画のみを手がけ、北方の自然特有の静謐で穏やかな、メランコリックな雰囲気をたたえたものが多い。薄曇りの空からもれる柔らかい日差しの中にひとり立つ≪孤独な木≫は、緑の葉をつけながらも先端は枯れ、枝は折れている。木の下で一人たたずむ羊飼いは、自然と向き合った画家自身と見ることもできる。」