ふたたび田中小実昌
エロ・エッセイというジャンルがあるとすれば、ほとんど至芸だろう。
だけど、マスターベーションは不自由だが、ホーケイの手術をしてよかった。
ぼくは、たいへんな小チン粗チンだとひけ目を感じ、野坂昭如氏はワリバシ一本ぐらいの大きさか、と同情してくださったが、手術をし、剥けてみたら、短いのはあいかわらず短いが、そんなにひとのモノとふとさはかわらない。
さっきもいったように、手術のまえは、下腹からオチンチンのさきっちょがでてただけで、皮だけと中身とでは、やはりくらべものにならない。
それでうれしく、まだホータイをしてるときから、新宿やなんかのバーや飲屋でオチンチンを見せてまわり、ほかの男の客は顔をしかめていたが、女たちは、キャアキャアよろこんでいた。
そのうえ、切って縫いあわせた部分が、カリ首を頭とすると、その真下に、ちょうど土星の輪みたいにとりまいている。
これが、横綱がしめる綱のように、けっこう厚みがあり、ちいさい、ちいさい、となげいていたぼくを勇気づけるために、手術したお医者さんがとくべつの芸術をなさったのかもしれないが、なにしろ、外側をとりまく厚みなので、すくなく見積もっても、一・五倍の直径にはなった(それでも、小中嶋太郎のオチンチンなんかにはおよびもつかない。新潟でいっしょにお風呂にはいったときに横目でみたが、誇張ではなく、小中陽太郎のはアサヒビールの小ビンのぶっとさぐらいはあり、巨根はたいていそうだが、こんなにでっかくなると、まるい感じはなく、分銅をぶらさげた昔の武芸者の草刈鎌の柄のように角ばっている)。
ともかく、ぼくのオチンチンも、なんとか、ひとなみのぶっとさになり、その証拠に――
「めんどくさいから、はやくいれてよ」
「バカ、もうはいってるよ」
「あら、それで、はいってるの。ぜんぜん感じないわ」
とヌカした女が、
「痛いわ。わたし、処女にもどったみたい」
なんて言いだし、ぼくも、やっと、男になったような気がしている。(317−318)
昨日書いた、京都の銭湯の話を紹介するか*1、スミ子という大女の話を紹介するか*2、ちょっと迷ったんだけど、今日はこれにした。