冗談はともかく、バーンスタイン

これは本当に凄い。
許光俊も批評文を書いているが、まったく誇張ではない。部分的に引用しておく。

チャイコフスキー交響曲第五番(ニューヨーク・フィルハーモニック、一九八八年)は、第一楽章序章からして、ひたすら暗い。ターラーという下降する音が執拗に強調されるため、まったく救いようがない音楽になっているのだ。しかも、突如テンポが速くなるので、ギクリとさせられる。もはや落ち込んでいることも許されず、せっつかれるかのようだ。その後もテンポを大きく動かし、振幅の大きな音楽が続く。チャイコフスキーはペシミスティックな人間だったが、彼の作品をこれほどまでにどん底の暗さで奏でた指揮者はあまりいない。およそ十五分の地点で訪れる崩壊感も、神経が細かい人なら耳を覆いたくなるくらい、すさまじい。(140)

そして次のように続く。

このような音楽を事大主義として嫌う人もいるが、私は、健康的な音楽を演奏していた若いときよりも、晩年になって異常な音楽を奏でるようになってしまったバーンスタインのほうが好きである。世界的な名声を手に入れ、経済的にも豊かな音楽家がこのような演奏をしてしまうところ、まさにそこにクラシック音楽の芸術としての恐ろしさがある。(140−141)

とりわけ『ロメオとジュリエット』が凄い。許も「ここまで曲への共感を露わにした演奏は他にないのではないかとすら思わせる名演奏」と書いている。チェリビダッケのCDも持っているが、まるでやろうとしていることが違う。