網野善彦

米原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争で投石する人々の姿から、「飛礫」という人類学的現象に思いを巡らし、「人類の原始」に根をおろした「民衆」の存在を、中世史のなかに見出そうと試みた網野善彦は、トランセンデンタルな領域における人間の根源的自由を追求し、それを動機に歴史叙述に駆り立てられたのだった。

「…飛礫が菖蒲切りのような民間の習俗と、同じ根源から出ているとすると、悪党という存在そのものが、中世とか古代とかいうことよりももっと根源的な、人類の原始に根ざしていることになっていきます。鎌倉時代の、あの歴史の転換点に浮上してきたのが、まさにそういう原始をになった人々だった。そう考えると、なぜあの時代だけにかぎって、日本人の宗教思想が飛躍的に深まったのかまで、わかってくるような気がします。…」(51)

「根源的自由」とは何か。その源泉は、構造主義の知見が明らかにするように、自然とは別なかたちで、言語や法といった文化の体系を生み出しうる、人間の能力に存するものである。だがやがて、そうした文化の体系が逆に、人間の自由を拘束する機制として働くようになるだろう。そのような宿命から逃れるために、人間社会が生み出した文化的装置が「アジール」である。

「おじちゃんの考えでいくと、縁を断ち切った無縁を原理にすえても社会はつくれる、ということだよね」
「ああそうだ。無縁になってしまった人間たちを集めて、権力によらない自由な関係だけでつくられた社会空間というものは、実際に存在することができるはずなのさ。失うものは鉄鎖しかない人間だけが、今日ではそういう社会をつくることが可能だ、というマルクスの発想の根源も、そこにあると思うな」
「そうなると、無縁でできた空間にも、それ独特の構造もあれば、秩序もある、ということになるわけだね」
「だたそこには人間を人間に従属させる権力関係は発生できない。そういう空間が長い時間にわたって永続できるかどうかってことが、難しい問題になるわけさ。君はそういう実例を知らないかい。…」(97−98)

このようなロマンティズムを抱きえたというのは、私のような世代から見るとナイーブにも映ることだが、しかしそうした知的な動機の強さが、網野さんの歴史の語りにダイナミズムをあたえ、魅力を倍加させていたことは間違いないだろう。
なお、アジールについての関心はその後、「天皇制」をめぐる思考のなかに流れ込んでいく。人類の原始に根源をもつ心性のあり方が、そのどこかに組み込まれていなければ、「天皇制」がこれほどまでに永続してきた理由は説明できないのである。

「…毅一さんの言うCountry's Beingというのは一枚岩ではなくて、どうもふたつのものでできていたように思うのです。農業と非農業というふたつの要素があって、天皇はその両方をうまく支配していた。しかも、ぼくの見るところ、それぞれの支配のやり方が根本的な違いをもっているようなんです。ぼくにもまだうまくその違いを表現できないんですが、そこに天皇制という独特な権力の秘密がひそんでいると、ぼくはにらんでいるのですよ」

「…天皇と非農業民とのかかわりはダイレクトなもので、あいだにいろいろな租税徴収請負人が立つ形で、間接的に天皇につながっていた農民とは、まったく違う感触をもって、天皇と関係していたんですね。そのために自分たちは百姓たちとは違う、天皇と直接つながっているんだという考え方が、この連中には強かったみたいですよ」
「すると、網野君はこう言いたいわけか。農民は保守的な心情で天皇とつながっているけれども、非農業民はもっとなんというか、生な、右翼的心情で結び合っている、と。…」(139−140)

この箇所は重要である。網野さんは人類の原始へとつながる根源的自由の担い手として、当初から悪党などの非農業民の存在に注目していた。かれらは農民とは異なって、秩序意識にとらわれずに自由に生きていたが、中世のような歴史の変動期にあっては、かれらのような「周辺的存在」が、重要な役回りをはたすことになるのである。そして「天皇制」には、そのような存在をも包摂しうるだけの原理が備わっていた。その意味で、網野さんが解読を試みた後醍醐天皇は、関心の対象としての必然性を十分にそなえていたといえるだろう。

後醍醐天皇の思考にはある種の首尾一貫性がある、と網野さんは考えていた。ときに奇想天外な施策はけっしてその場の思いつきなどではなく、思考の深い層における一貫性が認められる。後醍醐は自然と直接的に結び合っているものの中に共通の原理を見出そうとする、特異な象徴思考の能力をもっていたのである。悪党と密教と貨幣のあいだに、本質的な同一性を見出して、実際にそれを力として利用しようとしていた。(155)

そして、ここには「性」の問題が深く関わっている。
ところで、私が大学に入った頃に一番考えたかったのは、こういうことである。私が文学部を選んだのも、それが大きく影響しているはずだ。そして、知識や理解力が増した今の時点から考えても、ここにはやはり本質的な問題が宿っていることは明らかだと思う。もっとも、これは「思想」の問題であり、思想と学問とがどう切り結ぶべきなのかは、また別の(難しい)問題だとは感じるのだが*1

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

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*1:僻み根性かな?