坂口安吾の「恋愛論」

昨日書いたことですけどね、結局、人間の愚かさについての洞察から、すべては出発するわけですよ。

 ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ。死ねば白骨になるという。死んでしまえばそれまでだという。こういうあたりまえすぎることは、無意味であるにすぎないものだ。
 教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。
 恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。(角川文庫『堕落論』164−165)

「恋愛なんていつかは終わる、だからやらない」とか、「人生なんていつかは終わる、だから死んでも同じだ」とかいうのは、「あたりまえすぎ」て「無意味」なのである。たぶん、こういうことを言う人たちは、どこかでそれが「あたりまえすぎることだ」とは気づいていないのだろう。「永遠の恋愛があるはず」とか、「生きるに値いする人生があるはず」とかユルい希望を捨てきれないから、「生きる意味はあるのだろうか、ないのだろうか」といった無意味な問いにいつまでも拘束されてしまうのだと思う。
もちろん、どう考えても辛すぎる人生、というのもあるだろうし、そういう人たちには同情するのにやぶさかではない。しかし、「ネット自殺」なんていうのは、知的ポテンシャルの低い人たちがやっていることなのではないかと思う。