昨日は(Rousseauについて)

書くことができなかったことを、ひとつだけ書く。Rousseauは『社会契約論』で、こんなことを言っている。

(社会とは)それを構成する個々の存在とははっきり区別された固有の特性をもつ精神的存在である。そのことは、化合物がその構成部分の単なる混合からは決して出てこない属性をもつのとほとんど同様である。この社会には……普遍的な言語があり、すべての部分間の交感に役立つ一種の共通感覚器官があるだろう。公共の幸福あるいは不幸は、単純な加算の場合のように、個々の幸福あるいは不幸の総和にとどまるのではなく、それらを結びつけている関係のうちにあり、この総和よりも大きいであろう。だから、公共の福祉は個々人の幸福の上に成り立つものであるどころか、まさに彼らの幸福の源泉なのである。

作田先生は言う。「Rousseauはまた、同時代の百科全書派の人々とは異なって、コスモポリタニズムが人間をどれだけ動かすことができるかに関し、懐疑的であった。コスモポリタニズムに比べれば、コミュニティへの愛着のほうがはるかに実行力があると考えた」(18)。Durkheimの集合表象の概念は、一般意思と同型のものである。また、コスモポリタニズムに懐疑的な点も、中間集団を重視したことからも分かるように、共通している。彼の方法論的総体主義は、ドイツ留学の影響であるかもしれないし、また彼自身はルヌーヴィエの影響に言及してもいるのだが、以上の通り、Rousseauの影響もまた否定できないように思われる。