憲法改正論議

朝ナマで憲法改正の議論をやっている。フロ掃除をしながらチラ見する程度であるが、基本的にくだらない。変える理由も、変えない理由も、どちらもイデオロギー的だからだ。原則的に、改正するのは、プラグマティックな観点からでよい。プラグマティックな観点ということはつまり、9条だけ変更すれば足りる、ということである。右は、アメリカの押しつけによる自虐憲法をいい、左は、戦争放棄という崇高な理念性をいうが、現実には慣習法的な適応変化がなされ、そのかぎりでの国民的意思の反映があるわけだから、初発の憲法意志がどうだったかなどは、ほんらい関係がないはずなのである。改正規定のある憲法が改正されてこなかった、という事実だけで、ある種の現実性が担保されていると考えるべきだろう。ただ、冷戦体制崩壊後の国際的軍事力学の変化をふまえて、変更すべき点があればそれを問題提起するというのが、政治家および学者の役割であろう。
カビキラーの匂いが部屋に充満している。