これでは大義もへったくれもない

軍部を叙述の中心にすえた、簡潔かつ啓発的な戦時史。
戦後恐慌以来の社会的不満の蓄積を背景としつつ、2・26事件を象徴的事件として、軍部の圧力が高まったことが政治の地位低下を招き、戦時体制へとつながった、との枠組みを示している。
その背景には、陸軍および海軍の教育システム内部で実施されていた教育内容(「統帥権」の特殊な定義)があった。また、そこでのエリート選抜システムが、大局観(=セクト主義的な軍の論理を超える世界観)をもった時局認識を可能とする軍人を生まなかった、という問題もあった。
なお、戦争へと向かうプロセスにおいて、陸軍の暴走というよりはむしろ、ワシントン海軍軍縮会議以降の海軍の不満が決定的な役割を果たした、という史実には驚かされた。東条英機などが矮小な秀才的論理を振りかざし、国家を衰亡の淵へと追いやったことは事実である。だがより大きな原因には、対日石油輸出禁止措置などを(石油があるにもかかわらず)プロパガンダの材料とした、海軍の関与があったのだ。
あらためて、軍人という存在が戦争を政治的手段の一部としては位置づけられないこと、そのことによって戦争が自己目的化し、それが戦略・戦術レベルでの破綻を生む、ということが痛感された。こんな戦争には、やはり大義は見出せない。それから昭和天皇には、戦争にかんする道義的責任がやはりあるのかもしれないと感じた。たしかに非常大権を発動することは明治憲法体制の枠組みからは逸脱するが、そしてそのことを批判するということは近代的政治主体としての日本国民の品性を掘り崩すことにほかならないが、でも2・26事件やポツダム宣言受諾のときにできたことが、ほかのときにやってできないということにはならない。もちろんそれが道義的責任である以上は、われわれ国民がそれを批判するのは、著しく越権的であるわけだが。

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

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今日も疲れた。